キングコング西野さんの絵本の話。
その絵本は、クラウドファウンディングで資金を集め、クラウドソーシングでクリエーターを集め作成した。こういった作り方はジャンルの違う場所ではすでによくある手法だが、絵本でそれをやることはかなり新規性が高く、メディアにも注目された。
で、実際に発売されて大ヒット。
そんな中、突然作者である西野さんが「お金がないという理由で子供が読めないのは嫌だ。webで無料公開します」と発言し、無料公開を行った。これに対して様々なクリエーターの間から意見が巻き起こり賛否両論。とある声優さんは、特にその渦中に置かれてまた炎上という経緯。
で、その意見の流れを見てみると、門外漢ながらおかしいなあと思う部分がいくつか見受けられた。賛の方にも否の方にも。
俺はこの絵本の存在を、作成過程で知った。きっかけは、オタクの王こと岡田斗司夫さんとの対談。
岡田斗司夫ゼミ6月14日号対談キングコング・西野「頂上決戦!俺ってすごいやろ VS 僕って天才でしょ」
二年前の6月のことらしい。
岡田斗司夫とキングコング西野との対談なんて超面白いじゃん、というわけでこの動画を見た。
その中で、今回の絵本の話も出てくる。で、その絵本に興味を持って色々調べて経緯を知ったわけだ。
そんな流れで今回の騒ぎ。論点をいくつかまとめると
・ただで絵本を公開することによる子供への影響
・クリエーター市場にダンピングが起こる→食えなくなる
・クラウドファウンディングに対する認識の薄さ
・西野さんの物言い
この辺だろう。しかし、これらがごっちゃになって語られているし、その過程で事実関係がねじ曲がったりしている。
まず、一番注目が集まっているクリエーターにまつわる部分。
多くの人が誤解している、「無料公開=ただで作っている」みたいな認識。キングコング西野はクラウドファンディングで資金を集めた。それをもとに、クリエーターを集めて作成した。つまり、クリエイターにお金は渡っている。(出版社は別)
西野曰く、「お友達価格」とのことだが、クリエイターの間から「タダ同然で働かされた」とか「賃金未払い」という話は見えない。
まあいずれにしろ、事前に資金調達を行って支払いを行うという手法だ。食っていく、ということを考えたら実はこっちの方が安定しているのではとも思う。だって仕事がスタートした段階で金があるもの。
もちろん、それだけ資金が集まるのはキングコング西野がすでに有名人で、なおかつ注目される行動を取ったからだろう。
クラウドファンディングを行う人は増えてきているが、その中で達成できている人がどれだけいるかという統計を取ったらどうなるか。
ある程度資金が集まる見込みがあるからこそ出来る手法だが、基本的には悪くないと思う。
なぜなら、作品とクリエーターの間において金はすでに回っている。すると読者からそれ以上資金を回収する必要が無くなる。値段も下がるだろう。
ただ、全員が出来る手法では無い。だからこそ適正に「選択」が行われればいい。作品を販売することで資金を回収するか、事前に資金調達して作品を広く広めるか、状況に応じて使い分けることの出来る「選択肢」を作ったと。
売れる見込みがあって資金が集まってるのだから、クリエーターを安く買いたたく理由も無い。逆に、こういう状況で買い叩くとしたらただの悪人だ。仮に攻撃するなら悪用するやつを叩くべきじゃないかな。
売れるか分からないから、あるいは売れなかったからクリエーター単価が安くなるという状況よりはいいと俺は思う。まあ先行予約みたいなもんだしね。
影響が無いとは言わないが、かといって握りつぶすほど悪手かというとそんなことはないと思う。
次に、子供への影響。
声優さんはここを大事にしていたのだが、クリエーター代表みたいに扱われて妙に幅広い責任を負わされてしまっていると思う。それはそれとして。
これによってどう影響があるか、それは分からないでしょう。
だって子供なんだし。
人間は自分の経験ベースでしか考えられない。俺もそうだけど。
「絵本が無料」という状況があった子供時代を過ごした人間はほとんどいない。音楽や漫画はすでに無料が定着しつつあるが。
そういった「無料ネイティブ」がどうなるか。
無料だから物を大切にしないとか、無料だから達成感が無いとか、本人に聞いたのか?何を基準にそう判断したのか?と思う。
ただ、大切にするものが変わっただけだと思う。
無料だから、触れることのハードルは下がった。それによって増えた可能性の中に、何か大切なものが出来るんじゃないかと思う。俺らが持つ常識や感覚を、状況が変わった時代にまで押し付けたらそら合わないに決まっている。
それが事実というか、普遍的なものだと信じ切ってしまうことも危険だと思う。
というか、古い名作映画を100円でレンタルして見つつ、「金も払わないで…」とか偉そうに言えない気もするんだけど、それは別の話。
違法ダウンロードとかはもっての他なので除外。
最後に、西野さんの物言い。
「金の奴隷解放宣言」という言葉がやはり目を引く。
何か、自分たちが「お前らは金の奴隷だ。」と言われた気分になる。その他にも「糞ダセー」とか「まぐれ当たりで売れた」とか引っかかる部分は多い。
しかし改めて振り返ると、それは「言われた気がしてる」だけでしかない。別に、クリエーターを捕まえて「お前ら金の奴隷やな!」と言ったわけでもない。
あくまで自分で勝手に思った話を世界に向けているだけだ。
そう、この人は基本的に世界vs自分で生きている。
世界は個人ではない。
セカイ系とでも言うか。実際ネット時代はそういう戦い方が出来るんだろう。
だから、基本的にアンチとか相反する個人の相手はしな…ければいいのだけれど、声優さんもそうだが各個撃破に向かうのが良くないと思う。
スケールがデカいことをしてるのに、突然2chのレスバトルみたいな戦いを始める。そら認識も信念も違う人を論破したって味方が増えるより敵が増えるだけだ。そんな物わかりのいい人を期待する方が効率悪い。
おまけに笑ったのが、「炎上を受けて…」というブログで全然関係ないド下ネタ記事を投下した。子供が、っていうなら尚更だめじゃね?というツッコミしたくなっちゃう。2chで例えると、喧嘩するのがめんどくさくなってコピペ荒らしするみたいな。
まあトータル、やってることはスゲーのに妙に人間臭いというか、スケールの小さいところが見え隠れして、そこを攻撃されている。
使い分けてるのかもしれないけど、結果損じゃねーかなーとか思うんだけどな。
と思うことを書いた。で、タイトル回収。
とある事象に関する認識の違い、人間に対する印象、思い込み、そういったものはこの情報化社会でより如実になる。
今まで触れることのなかったものにもガンガン触れるようになる。人間が処理できる情報量が昔から劇的に変わったとは思わないし、多分処理しやすいように都合よく置き換えているだけだ。俺も多分そう。なんだっけか、読み飛ばす技能みたいなものが最近の若い子は発達してるらしい。
その間にはズレが産まれる。隣に座って同じことを見ているやつとのズレも、昔より大きくなっている。この炎上も、西野に対する認識、クラウドファンディングに対する認識、クリエイターに対する認識、様々なものが個々人でズレまくっている。
そこでの個人同士の接触は軋轢しか産まない。そして、その軋轢はよりズレを大きくする。「西野が悪い」と思ったやつはさらに「悪い」と思うようになるし、その逆も然り。
そっから先はもう殴り合いだろう。勝ち負けが一番大事になる。
ただ、そこでの勝利はビジネスの勝利でも、政治の勝利でもなんでもなくて個人の溜飲を下げるための勝負なんだよな。そこから先も、勝者と敗者の構図を産み、さらなる地獄になる。
俺はそれが嫌だし、もう参加したくない。これは正しいのか正しくないのか、そういう話はこのブログの最初の方で散々やったが、結果ドツボにハマるだけだ。
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ちょっとだけ言い回しとかを修正追記。
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見直したら結論が何もないので追記。
ズレること、それはもうしょうがない。山崎まさよしが「セロリ」で歌ってたみたいに、好き嫌いは否めない。
単純に、整理しなきゃいけないなと自分でも思う。
それは好き嫌いの話なのか、ビジネスにおける利害の話なのか、事実なのか仮定なのか。実感なのか妄想なのか。
自分でも都合よくすり替えてないかと。それこそ、この記事でも自分の言いたいことのために何かすり替えを無意識に行ってねえかと。
自分のそういうとこは疑いながら考えることを続けたいなと。