読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

吐き捨て系日記

とある20代男が考えを整理するためにブツクサ綴る、ほんとにただの日記です。

映画『アサシンクリード』をアサシンクリードファンが見てきた。(ネタバレあり)

まず、最初っから最後まで通して言えることなので先に言っておくと

 

尺不足

 

これに尽きる。

まあこれは分かりきってはいたことだ。そもそもゲームというのは、説明に関して制限がない。膨大な説明書を読ませて、ゲーム内tipsとかで説明を随時追加して、プレイ中の好きな時に読ませることが可能だ。

対して映画は、どんなに説明過多にしても2時間の中で説明出来なければ終わりなのだ。

 

アサシンクリードは原作がゲームであり、その設定の多くはその「ゲーム的説明」によって保管されている。それを2時間で全て説明し切ろうって方が無理と言えば無理なのだ。

物語を見れば、ゲームと必ずしもイコールな物語ではないのでツッコむのも野暮なのかもしれないが、やっぱり気になった。

 

具体的に何が説明仕切れていなかったのか、気付いた限り紹介する。

エデンの果実

アサシンクリードにおける重要な要素。物語は終始これを巡って展開する。劇中では「遺伝情報の全てが記録されている」とかなんとか。まあようするに、これを手に入れると人の考えとかをコントロール出来るみたいな描かれ方だった。

 

ゲームではどうだったか?

これが登場したのは1のラスト。実際にそれがどのように扱われるかを描いたのは2以降になる。

そこでは「歴史上の指導者や独裁者は果実を所持し、人々を導いていた」という陰謀論全開なエピソードが実際の写真を用いて描かれる。

アサシンクリードで俺が好きなのはこういった、ダイナミックすぎる歴史感だったりするが、それはまた別の話で。

 

で、それが使われるとどうなるか。周囲の人間を完全にコントロールし、そのまま自殺させることも出来る強力なアイテムとしてゲームには登場する。

 

それに比べると、「エデンの果実」がいかにヤバいものか、という説明が薄かった。これが物語的にはやっぱり弱い。

 

テンプル騎士団

アサシンクリードは、テンプル騎士団とアサシン教団の戦いがメインになる。そして、このテンプル騎士団がいかに巨大な組織なのか、ということがストーリーを通して重要なポイントになっている。

秘密結社かと思っていたら、政治家、財政会、ありとあらゆる分野にテンプル騎士団はいるという設定なのだ。

ゲーム中のサブエピソードでは、「ニコラテスラが電気を発明したが、テンプル騎士団エジソンに味方してそれを握りつぶした」とかいうとんでもない話があったりする。あるいは、「テレビのサブリミナル映像で洗脳していることに気付いた一家に、テンプル騎士団の粛清の手が迫る」という音声があったり。

 

まあようするにとんでもない連中だ、ということ。それが映画では説明しきれていなかった。騎士団の長らしき女性が出てきたけれど、あれが誰かって語られていたっけ?

 

アサシンの道具

これは細かい点なのだが、アサシンの道具に関する説明も少々薄かった。

劇中で走りながら遠くの敵を倒す場面がいくつかある。それはそれでカッコいいのだが、問題は「何を使っているかわからない」ことだ。

投げナイフなのか発射式ブレードなのか。肝心な道具が全く見えない。だから、終盤で敵の将軍を倒すときにも違和感がある。

倒れた仲間の武器で一撃を加えるのだが、「あれは何の武器なのか」が全くわからない。

 

そしてこれは物語のハイライト「イーグルダイブ」にも関わってくる。

高所から落下し着地するわけだが、その過程で「何かを投げて、それによって勢いを軽減しつつ着地する」という描かれ方をしている。

が、その何を投げているかが全く見えない。恐らく冒頭で使っていたワイヤーなのだろうが、それをどう使ってどこに当ててどうなったのか全く分からない。

 

実写化にあたって、さすがに「謎の干し草」じゃあかっこつかないからそうしたんだろうか。でもなあ…あんだけもったいつけて描いたのにラストではバッサリカットするのもなあ。

 

歴史観

歴史上、様々な時代にアサシンと騎士団の戦いはあり、それを追体験するという設定。そこでは、語られるだけだった歴史上の出来事がリアルタイムに行われている。

もちろん人物も。

ゲーム内では、レオナルドダヴィンチ、チェーザレボルジア、ニッコロマキャベリなどが登場して主人公と絡む。

本作でも、スルタンとかスペイン王とかが出てくるのだが、それがどんな人物でどういう歴史があるのか、その量が非常に少ない。

異端審問会で焼かれたのがアサシンであり、トルマケダと戦うというのはいいのだが、どうしてもその説明が少なく感じた。

これは「ゲーム的説明」で保管される最たる部分なので、しょうがないと言えばしょうがない。

ただ、「歴史の裏側を見る」というアサシンクリードの魅力は若干薄くなる。

 

 

だいたいこんなところか。

あと、ボリュームの関係で削られてしまった「鷹の目」の要素も個人的には残念だ。

 

 

アクションにスピード感はあるし、街並みはきれいだし、名台詞も再現されている。だからこそ、欠けたところに目が行く。

 

この、「大作ゲームを映画化する」という動き自体は今後も続いていくだろう。その中でこの、「説明を減らす」ということをどのように行うかは最重要課題なのではないか。

ともかく、悪い映画じゃない。むしろよくやった方だと思うんだよな。

だから、ファンの目線じゃなくて普通の映画好きの目線による評価が気になるところだったり。

 

ただ、やっぱラストの暗殺はエアアサシンであってほしかったなあ。

ポストブラックが最近好きだという話

メタルが好き、というのは何度も話しているのだが、今その中でも特に「ポストブラック」と呼ばれるジャンルにハマっている。

 

名前からも分かる通り、「ブラックメタル」の「ポスト」なジャンル。

ブラックメタルの音楽性を持ちつつ、新しい形で発展させたバンド群を差す。ただ、これはかなり大雑把な分け方だ。

その内部にはなんやかんや細かいジャンルがあり(メタルはジャンル分けが好きだな)、そのルーツはどこで…とか追っかけだすとキリが無い。

 

まとめて言えるのは、ブラックメタルの暴虐性みたいなものを別の形に昇華した音楽、ということだ。

 

ブラックメタルがどんなもんか、というのを語りだすとそれはそれでクソ長くなるので割愛。実際に聞いたやつをいくつかご紹介。

 

Deafheaven

www.youtube.com

恐らくこの手のジャンルでは一番の有望株とされているバンド。2010年にアメリカで結成された若いバンドだが、デビュー直後から各メディアで絶賛を受けまくっている。

メガデスのマーティーもお気に入りだとか。

音楽性的にはブラックメタルシューゲイザーの影響がみられる。まとめて「ブラックゲイズ」と呼ばれることもあるが、恐らくそういったカテゴライズにハマるタイプのバンドでもないだろう。

Alcest

www.youtube.com

2000年に結成されたフランスのバンド。バンドというかプロジェクトに近い。こちらも、ブラックメタルの激しさと様々な音楽性が融合した、独自のサウンドで人気を博している。

日本にも結構来てたり、アートワークなどもブラックメタル然としない優しいタッチのものが多かったりと、割ととっつきやすいバンドだと思う。

An autumn for Crippled Children

open.spotify.com

オランダのポストブラックバンド。

正直この手のサウンドの中では相当好きな部類に入る。シューゲはもちろんだが、アンビエントだったり、空間音楽的な美しさとブラックの暴虐性を合わせた切なさはやはり気持ちがいい。

似たようなサウンドが続きがちなジャンルだけど、アルバムごとに新しいアプローチをしてるのもいいなあと。

VMO(Viloent Magic Orchestra)

www.youtube.com

こちらは日本のポストブラックバンド。

Vampilliaというバンドから派生したらしい。名前の通り、エレクトロ系統からのアプローチになる。「踊れるブラックメタル」を標榜しているが、まさにその通り。

エレクトロの快感点とブラックの気持ちよさが一曲に同居している。正直聞いてて疲れると言えば疲れるんだけど、飲み込まれる感じが癖になるというか。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

個人的に好きなポストブラックをいくつか紹介した。

正直ここに上げたのは一部も一部。ニューロシスみたいな先駆者とか、アゼルバイジャンのViolet coldとか、縦幅も横幅も紹介しきってない。

 

このポストブラックというジャンルは、メタルの派生としてカテゴライズされることが多いけれど、実際はその枠にとどまらない。

というか、そういった「メタル的カテゴライズ」を嫌う人がインタビューを見ていても多い。好きなもの、好きなことを突き詰めていった結果こういった形になっただけで、別にメタルのためとかメタル魂がとかそういうのはどうでもいいって感じ。

 

メタルの体育会系気質なとこは、愛らしくもあるが同時に嫌らしさも産む。

まあ俺がベビメタ嫌いだったのもそういうのに恐らく根差していたし。

 

ともかく、そういった「カテゴライズ」から解き放たれつつあるジャンル(なんか矛盾した表現だけれど)、としてポストブラックがあるんじゃなかろうかと思ったり。

B-DASHの思い出

俺もそういう時期に来た、という実感がある。

 

B-DASH official website|Home

 

ロックバンド「B-DASH」が結成から20年を持って解散することを発表した。

彼らは、俺にとって「初めて好きになったバンド」なのだ。「音楽を聞く楽しみ」の原体験と言ってもいい。

解散や活動休止というものはいつもどこかで遅かれ早かれやってくる。国民的アイドルのSMAPも解散した。あれもあれでショックではあったが、どこか他人事の部分もあった。

 

だが、自分の人生において非常に大きな存在であったグループの解散というのはやはりズシンくる。

いずれ来ると分かっていても、実際に来ると何か大きな喪失感というか、あるいは俺自身が年を重ねてしまったことを突き付けられているような、何とも言えない感覚になる。

 

ここからはホントに日記だが、俺がB-DASHと出会った頃のことを述懐したい。俺もこれからドンドン老けていく。今のうちに記しておきたい。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2000年代初頭の話。

当時はCDがやたらめったら売れる時代。大物ロックバンドや女性ソロシンガーの曲がミリオン行くのは当たり前みたいな。

 

当時俺は中学生だった。個別の部屋も与えられ、ラジカセも買ってもらった。ただ、聞くものが無い。

俺の親父は典型的なロック世代。そんな親父は俺が音楽に興味を持ったことに喜び、洋楽の名盤を何枚も買ってくれた。ビートルズやディープパープル、CCRやドゥービーブラザーズをよく聞いてたな。

ただ、それはそれで良い音楽なんだけれど「俺の音楽」ではない。

そしてテレビから聞こえてくる音楽も。カッコイイし、良い歌なんだけれどリスナーとしての当事者意識が無かったというか、「俺の」って感じは無かった。

 

そんな時、隣の家に住んでいた友人から雑誌をもらう。

ストリートロックファイル

日本のインディーズバンドを中心に紹介する雑誌だった。インタビューやライブレポートの他に、掲載されたバンドの曲が合計20曲近く入ったCDが付いているという画期的な雑誌だ。

それを読んでいくうちに、日本のインディーズシーンというのに興味を持つ。175Rシャカラビッツのようなポップパンク、ガガガSPGOING STEADYのような青春系のパンク、そんな中でB-DASHに出会う。

 

俺が感じたのは「近さ」だった。

 

物凄いスキルを見せつけるわけではなく、青春系の激しい激情をぶつけるわけでもなく、ひたすら聞いていて楽しいロックだった。

いわゆる「適当めちゃくちゃ語」で構成された、響きしかない歌詞。抜群のポップセンス。親しみのあるルックス。

他のバンドには無い、「近さ」がある。当時の俺はそう感じていた。つまりは、憧れを持った。

「俺もああなりたい!」そう思える初めての存在だったと思う。

 

そこから俺は様々な音楽を聞いていくようになるわけだが、やはりベースはB-DASHの原体験にあった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

やっぱり切ないし悲しいんだけれど、だからこそ思い出だと思う。

 

永遠にあのままで、なんて言えない。当時はやっていたポップパンク勢も解散したり活動休止したり、あるいは音楽性を大きく変えたり。

それを揶揄して「ロックは終わった」みたいなこと言う人もいる。

 

でもそれは、自分たちの思い出を守ることを、誰かに押し付ける行為ではないだろうか。

年齢は重ねていくし、時代は変わる。でもお前らはそのままでいろ、なんてのは残酷じゃないか。

 

俺も変わった。時代も変わった。そして音楽だって同じように変わっていく。思い出はいつも優しいものだが、そこに甘えていてはいけない。

 

B-DASHは一旦終わる。でも俺は生きていくし、バンドのメンバーも先に進む。それでいいんだ。

でもあの日あの時、俺が自分の部屋でB-DASHを聞いて心躍らせていた時間、事実は永遠だ。多分ジジイになってもそうだろう。むしろ、心からそう思える存在があったことを幸せに思う。それで俺は先へ進むことが出来る。

 

 

 

ただただ、ありがとうB-DASH

 

 

ちょ

ちょ

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

うーんポエミーだ。

勢いに任せて書いてはみたが、何やら恥ずかしさもある。

まあ、ロックってそういうもんだよな、と自分に言い聞かせてみたり。

街の姿

東京に住んでもう一年。

 

だいぶ慣れてきて、路線やら街の様子やらも分かるようになってきた。

 

東京は街の特色というのがハッキリ分かれている。少なくとも田舎者の俺の感覚では。例えば秋葉原はオタク文化と電気の街。渋谷は若者中心のファッションの街。五反田はホテル街。日暮里は…まあそういう街。

色々と分かれて、それぞれの文化や歴史がある。

 

こないだ暇な時に、ネットで自分が住んでいた(正確には通っていた)街について調べてみた。すると、そこには意外な光景があった。

 

別の地方から来た人にとって俺の地元は、格好の被写体らしい。山に囲まれてるというのはもちろんだが、それ以上にその街の姿。

そこに切り取られていたのは、

 

昭和のころから変わらない看板を出し続ける洋服屋

寂れ切った置屋らしき店

100メートル間に数十件スナックが立ち並ぶ裏道

どう考えてもカルトだろうってな宗教をガンガンアピールする家

著作権なんかかんけーねえ!ってな飲み屋の看板

 

 

そうやって切り取られると確かに異常だ。

高校の頃には気づかなかった。むしろ「何もねー街だな。」ぐらいに思って、都会に憧れていた。

そうなんだよな。この街は基本的に夜の街なのだ。

 

この歳になってやっとわかった。だってさ、人口10万もいないのにキャバクラは3件もあるし、スナックは何十件あるんだって話だし、国道沿いに思いっきり風俗店があるし。

 

そんな街なんだよな。

東京みたいに駅ごとでカッチリ色分けされているわけではなく、あくまでグラデーションなんだと思うけれど、この街は夜の要素が濃い。

ダム建設や道路建設で需要が高まった結果らしいけれど、それも昔の話。

 

 

そんな街で、過疎化が進んで若者が減っているといいつつ新しい居酒屋は帰省する度に増えるし、ガラの悪い兄ちゃんはキャバクラに入り浸っている。

 

地方創生だーとかいうんだけどさ、こういう街はどうなるのか、ふと思った。

 

健全で明るい、「田舎」になるのか。

だとしたら、毎晩飲み歩いてるオッサンら、スナックのママ、風俗の姉ちゃんはどこに行くのか。

 

明らかに「影」の方が濃いんだよなこの街。

まあどう付き合うかは俺ら次第だとは思うけれど、「影」が無くなったら寂しいとか以前に魅力ゼロになりそうな気もしている。

 

かといってなんかずっとグレーなまま行ける時代でもないと思うし。

今度帰省した時にはもうちょっとよく見てみよう。

炎上を見ると心が荒む話

具体的にどの炎上がってわけではないが、やはり炎上騒動を見ていると心が荒む。

 

それが例えば、自分が応援している芸能人などでなくてもだ。もちろん、犯罪行為やって非難されてる人を擁護する気もないのだが。

 

ただ、当事者間ですでに決着がついた事象について回りがひたすら薪をくべ続けるような状況になるともう辛い。そうなるともう目的が別になっている。

 

また、当事者同士が全く引かない状態で周りがドンドン加熱してくのも辛い。いい大人が「言った」「言わない」の応酬で「証拠がー」とか罵詈雑言をぶつけ合って最終的に、「暇なんですね(笑)」とか嫌味合戦になってるのはもう最悪。

 

見なきゃいい、ほっときゃいい。そりゃそうなんだけどさ。

 

単純に怖いんだよな。これ俺にも火の粉飛んでくるんじゃねえかって。俺は別に知識人や芸能人では無いけれど。

 

議論ならいいんだよ。「私はこういう理由でこう思います」「私はこういう理由でそうは思いません」「ではこうしましょう」で終わる話なら。そうじゃなくて、完全なる決着をつけるまで納得しない人ってのが結構いるということが怖い。

 

もちろん炎上でコメントしてる人のほとんどが野次馬、というか俺もそうなんだけど。ただ俺が野次馬のターゲットにならない、なんて保証はどこにもない。

 

立場の差こそあれど、やってることやられてることに差はない。意見や認識の齟齬があり、それが埋まらないままぶつかり合う。

周りも、いつの間にかぶつかり合うことを見る、それ自体が目的になる。

 

結局のところ炎上ってのは上手く言ったもんで、終わった後に何も残らない。前に進むわけでもないし、誰かの溜飲が下るわけでもない。いつの間にか燃えること自体が中心になって、大本の原因なんて誰も気にしなくなる。

 

嫌な思いをしたやつがいて、新たな勘違いや思い込みが産まれて、状況は何一つ好転しない。ただただ「人が大量にアクセスした」という事実だけが残る。焼野原が残るみたいな。

それを見て「ほら、人が来るでしょ!」なんて言われてもな。

 

 

まあそれでも、今日もどこかで誰かが燃える。

というか、メリットが無くたって人は怒るし、反対意見には一言いいたくなる。俺だって当事者になれば多分そうだろう。

怒ってる人に「怒るな!冷静になれ!」って部外者が言ったって無意味だし。「余計なこと言うな」って部外者から言われたら「お前こそ余計なこと言うな」と言いたくなるわな。

だから、炎上が無くなることは多分無いし、これからもあちこちで焼野原が産まれる。

 

出来ることなんて、今のうちに心を鍛えて「炎上なんかかんけーねえ!」ってなるか、燃えないようにこそこそ立ち回るだけなんだよなあ。

あーしんどい。

俺らはズレ続ける

キングコング西野さんの絵本の話。

 

その絵本は、クラウドファウンディングで資金を集め、クラウドソーシングでクリエーターを集め作成した。こういった作り方はジャンルの違う場所ではすでによくある手法だが、絵本でそれをやることはかなり新規性が高く、メディアにも注目された。

 

で、実際に発売されて大ヒット。

そんな中、突然作者である西野さんが「お金がないという理由で子供が読めないのは嫌だ。webで無料公開します」と発言し、無料公開を行った。これに対して様々なクリエーターの間から意見が巻き起こり賛否両論。とある声優さんは、特にその渦中に置かれてまた炎上という経緯。

 

で、その意見の流れを見てみると、門外漢ながらおかしいなあと思う部分がいくつか見受けられた。賛の方にも否の方にも。

 

 

俺はこの絵本の存在を、作成過程で知った。きっかけは、オタクの王こと岡田斗司夫さんとの対談。

 


岡田斗司夫ゼミ6月14日号対談キングコング・西野「頂上決戦!俺ってすごいやろ VS 僕って天才でしょ」

 

二年前の6月のことらしい。

岡田斗司夫キングコング西野との対談なんて超面白いじゃん、というわけでこの動画を見た。

その中で、今回の絵本の話も出てくる。で、その絵本に興味を持って色々調べて経緯を知ったわけだ。

 

そんな流れで今回の騒ぎ。論点をいくつかまとめると

 

・ただで絵本を公開することによる子供への影響

・クリエーター市場にダンピングが起こる→食えなくなる

クラウドファウンディングに対する認識の薄さ

・西野さんの物言い

 

この辺だろう。しかし、これらがごっちゃになって語られているし、その過程で事実関係がねじ曲がったりしている。

 

まず、一番注目が集まっているクリエーターにまつわる部分。

多くの人が誤解している、「無料公開=ただで作っている」みたいな認識。キングコング西野はクラウドファンディングで資金を集めた。それをもとに、クリエーターを集めて作成した。つまり、クリエイターにお金は渡っている。(出版社は別)

西野曰く、「お友達価格」とのことだが、クリエイターの間から「タダ同然で働かされた」とか「賃金未払い」という話は見えない。

まあいずれにしろ、事前に資金調達を行って支払いを行うという手法だ。食っていく、ということを考えたら実はこっちの方が安定しているのではとも思う。だって仕事がスタートした段階で金があるもの。

もちろん、それだけ資金が集まるのはキングコング西野がすでに有名人で、なおかつ注目される行動を取ったからだろう。

クラウドファンディングを行う人は増えてきているが、その中で達成できている人がどれだけいるかという統計を取ったらどうなるか。

ある程度資金が集まる見込みがあるからこそ出来る手法だが、基本的には悪くないと思う。

なぜなら、作品とクリエーターの間において金はすでに回っている。すると読者からそれ以上資金を回収する必要が無くなる。値段も下がるだろう。

ただ、全員が出来る手法では無い。だからこそ適正に「選択」が行われればいい。作品を販売することで資金を回収するか、事前に資金調達して作品を広く広めるか、状況に応じて使い分けることの出来る「選択肢」を作ったと。

売れる見込みがあって資金が集まってるのだから、クリエーターを安く買いたたく理由も無い。逆に、こういう状況で買い叩くとしたらただの悪人だ。仮に攻撃するなら悪用するやつを叩くべきじゃないかな。

売れるか分からないから、あるいは売れなかったからクリエーター単価が安くなるという状況よりはいいと俺は思う。まあ先行予約みたいなもんだしね。

影響が無いとは言わないが、かといって握りつぶすほど悪手かというとそんなことはないと思う。 

 

 

 

次に、子供への影響。

声優さんはここを大事にしていたのだが、クリエーター代表みたいに扱われて妙に幅広い責任を負わされてしまっていると思う。それはそれとして。

これによってどう影響があるか、それは分からないでしょう。

だって子供なんだし。

人間は自分の経験ベースでしか考えられない。俺もそうだけど。

「絵本が無料」という状況があった子供時代を過ごした人間はほとんどいない。音楽や漫画はすでに無料が定着しつつあるが。

そういった「無料ネイティブ」がどうなるか。

無料だから物を大切にしないとか、無料だから達成感が無いとか、本人に聞いたのか?何を基準にそう判断したのか?と思う。

ただ、大切にするものが変わっただけだと思う。

無料だから、触れることのハードルは下がった。それによって増えた可能性の中に、何か大切なものが出来るんじゃないかと思う。俺らが持つ常識や感覚を、状況が変わった時代にまで押し付けたらそら合わないに決まっている。

それが事実というか、普遍的なものだと信じ切ってしまうことも危険だと思う。

 

というか、古い名作映画を100円でレンタルして見つつ、「金も払わないで…」とか偉そうに言えない気もするんだけど、それは別の話。

違法ダウンロードとかはもっての他なので除外。

 

 

最後に、西野さんの物言い。

「金の奴隷解放宣言」という言葉がやはり目を引く。

何か、自分たちが「お前らは金の奴隷だ。」と言われた気分になる。その他にも「糞ダセー」とか「まぐれ当たりで売れた」とか引っかかる部分は多い。

しかし改めて振り返ると、それは「言われた気がしてる」だけでしかない。別に、クリエーターを捕まえて「お前ら金の奴隷やな!」と言ったわけでもない。

あくまで自分で勝手に思った話を世界に向けているだけだ。

そう、この人は基本的に世界vs自分で生きている。

世界は個人ではない。

セカイ系とでも言うか。実際ネット時代はそういう戦い方が出来るんだろう。

だから、基本的にアンチとか相反する個人の相手はしな…ければいいのだけれど、声優さんもそうだが各個撃破に向かうのが良くないと思う。

スケールがデカいことをしてるのに、突然2chのレスバトルみたいな戦いを始める。そら認識も信念も違う人を論破したって味方が増えるより敵が増えるだけだ。そんな物わかりのいい人を期待する方が効率悪い。

 

おまけに笑ったのが、「炎上を受けて…」というブログで全然関係ないド下ネタ記事を投下した。子供が、っていうなら尚更だめじゃね?というツッコミしたくなっちゃう。2chで例えると、喧嘩するのがめんどくさくなってコピペ荒らしするみたいな。

 まあトータル、やってることはスゲーのに妙に人間臭いというか、スケールの小さいところが見え隠れして、そこを攻撃されている。

使い分けてるのかもしれないけど、結果損じゃねーかなーとか思うんだけどな。

 

 

 と思うことを書いた。で、タイトル回収。

 

とある事象に関する認識の違い、人間に対する印象、思い込み、そういったものはこの情報化社会でより如実になる。

今まで触れることのなかったものにもガンガン触れるようになる。人間が処理できる情報量が昔から劇的に変わったとは思わないし、多分処理しやすいように都合よく置き換えているだけだ。俺も多分そう。なんだっけか、読み飛ばす技能みたいなものが最近の若い子は発達してるらしい。

その間にはズレが産まれる。隣に座って同じことを見ているやつとのズレも、昔より大きくなっている。この炎上も、西野に対する認識、クラウドファンディングに対する認識、クリエイターに対する認識、様々なものが個々人でズレまくっている。

そこでの個人同士の接触は軋轢しか産まない。そして、その軋轢はよりズレを大きくする。「西野が悪い」と思ったやつはさらに「悪い」と思うようになるし、その逆も然り。

そっから先はもう殴り合いだろう。勝ち負けが一番大事になる。

ただ、そこでの勝利はビジネスの勝利でも、政治の勝利でもなんでもなくて個人の溜飲を下げるための勝負なんだよな。そこから先も、勝者と敗者の構図を産み、さらなる地獄になる。

 

 

俺はそれが嫌だし、もう参加したくない。これは正しいのか正しくないのか、そういう話はこのブログの最初の方で散々やったが、結果ドツボにハマるだけだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ちょっとだけ言い回しとかを修正追記。

ーーーーーーーーーーーーーーー

見直したら結論が何もないので追記。

 

ズレること、それはもうしょうがない。山崎まさよしが「セロリ」で歌ってたみたいに、好き嫌いは否めない。

単純に、整理しなきゃいけないなと自分でも思う。

それは好き嫌いの話なのか、ビジネスにおける利害の話なのか、事実なのか仮定なのか。実感なのか妄想なのか。

 

自分でも都合よくすり替えてないかと。それこそ、この記事でも自分の言いたいことのために何かすり替えを無意識に行ってねえかと。

自分のそういうとこは疑いながら考えることを続けたいなと。

「熱くなる」という話

前の記事で、格闘技とアメフトが~って話をした。

で、冷静になって省みると、果たして「対象が格闘技とかアメフトじゃなかったら俺は、あそこまで熱くなっていたのか」という疑問がわく。

 

ぽつぽつ書いてはいるが、俺はスポーツ全般が好きだし、その中でも格闘技なんかは滅法好きな方だ。

だから余計に例のスピーチに引っかかったんだろう。

 

ただ、例えばなんだが、トランプの暴言。

メキシコに壁を作れだのなんのかんの。マジかどうかはいまだによくわからんが、あれを聞いても同じように熱くはなっていなかった。

 

ボクシングにメキシカンは不可欠だし、それこそプロレスに関してはルチャの本場だ。なのに、「ひどい話だ」と思いつつも別に熱くはなっていなかった。

 

自己反省でしかないんだが、結局俺はある1方向のフィルターからしか物事をまだ見れていない。風が吹けば桶屋が儲かるとかそういうレベルで遠い話では無く、すぐ隣にあるような危機にも気づいていない。

それでいて、直に言及されると急に熱くなる。

 

あまりに都合がいいというか、一面的な付き合い方しかしていないな。そりゃ、なんでも拡大解釈して陰謀論みたいになるのもよくないけれど。

 

「洋楽のトレンドがわからんくなった」という話も以前にした。

実際、それで何か不都合があったかといえば別に無かったり。

でも、なんか違うなと違和感を抱き、ちょっと視野を広げてみた。

 

まあそのうち改めて書くと思うけれど、洋楽と邦楽は関係ないなんてことは無い、多分。

 

結局何が言いたいか、っていうと

都合よく騒いだり、無視したり、それはあくまで俺の都合でしかなくて、世の中はもっとシームレスだし近い存在だ。

関係ない、で済ませて美味しいとこだけもってくなんてあまりに乱暴な気もする。

余計なこと考えんな、というのもあるだろうが誰がそれを「余計」と判断したのか。

 

まあ一夜経て頭を冷やしたということです。

 

 

ーーーーーーーーーーーー

あとトランプ会見が悪い意味で面白すぎたというのもあった。