吐き捨て系日記

もう30になっちゃう男が考えを整理するためにブツクサ綴る、ほんとにただの日記です。

「好きなんでしょ?教えてよ」という人間は苦手という話

 

「お前って○○好きで詳しいんだろ?教えてよ」みたいなのは苦手だ。

 

俺はその裏にどうしても傲慢なものを感じてしまう。それは、

 

「好きならば、魅力を教えられるはずだ」という押し付けと、

「面白いものなら、教えられれば理解できるはず」という思い込みだ。

 

そしてこれに上手く答えられないとどうなるか。

 

「こいつは好きなものを分かってないニワカ野郎」になるし、

「俺が理解できないってことはそもそも面白くないもの」になる。

 

 

というか、せめて入口に自分で立てよってことなんだよな。俺の友人が最近プロレスにハマったという話を以前したが、あいつは自分で興味を持ち、試合をネットで見てそのうえで「ここからどうすべきか?」と俺に尋ねてきた。

そうなれば、俺も勧められるし、一緒に楽しむことも出来るだろう。

 

 

別に無理に今すぐ全てを楽しむ必要はないのだ。

一目見て、一聴して惹かれなかったら今はその時ではない。

もし、どうしても今これを楽しみたい!というのならひたすら触れまくるしかない。その中で惹かれる瞬間があってからスタートだ。

 

大事なのは、物事を楽しむためのチャンネルは自分で作らないと増えないということ。今のまま楽しめるもの、をひたすら求めても、いずれ限界が来る。

 

楽しめないものの方が多くなってくる。そうなったときに人は老害になる。

「最近の○○は~」と言い出す。

 

若ぶる必要はないけど、チャンネルは増やしといて損はない。

逆に、若いうちに昔のものを楽しめるチャンネルも作っておけたらいいよな。

 

だって楽しいじゃんそっちの方が。

茶化すしか出来なくなったら終わり

最近バラエティ見てると度々遭遇する、苦手な場面ってのがある。

 

誰かが噛んだりしたことを延々茶化したり、物を紹介するときにその名前を茶化したりする場面。

 

お笑い的にはお約束なんだろうけど、どうにも苦手だ。

 

結局のところ、見たいこと聞きたいことの邪魔でしかないんだよなそういう笑い。で、バラエティってのは笑えればいいわけだ。

つまりは、笑いが起きたことで目的は果たされている以上、その内容とかはどうでもよくなる。

 

どの番組が、とは言わんけどさ。

 

で、そういう流れは一般の我々の間にも浸透しつつある。

「これはあのバラエティの流れですよー」てなテンションで、普通の会話の中でこういう茶化しの空気を作りたがるやつがいる。

 

そうなるともうダメ。話が出来ないし、誰も話を聞かない。みんな芸人ごっこに夢中になる。

 

俺ら芸人じゃねえんだからさ、普通に話せよと思うわけです。

まあ結果として笑いは起きているわけだけれども、別に視聴者がいるわけじゃなし。

 

誰かが喋ったら、「お?なんだなんだ?」ってリアクションをして、喋り終わったら言葉尻捕まえてツッコめばいい。

それでお手軽バラエティの完成なんだけど、これ楽しいのはツッコんでるやつと部外者だけなんだよな。

普通に喋ってたらツッコまれた俺は楽しくないし。空気読めとか言われても、俺からすれば「お前が空気読め」って話だし。

 

まあそんな飲み会が最近ありまして、非常に不愉快だったというお話です。

で、バラエティ見てると似たような光景があって「うわぁ…」ってなっちゃったっていうね。

 

最近は、少ない人数で回してるバラエティの方が面白く感じる。大人数だとどうしてもお決まりの流れに持ってかれがちだしな。

 

プロレスはやっぱ生だな、という話

先日、名古屋で行われた新日本プロレスを友人と観戦してきた。

プロレスは大好きなんだが、生観戦は実は10年ぶりぐらいになるかもしれない。そもそものきっかけは、友人が『有田と週刊プロレスと』というAmazonプライムの番組にハマったこと。


「あれはどういうことなんだ?」とか質問攻めに合うのも何やら楽しい。俺が勧めても見なかったくせによぉ、とかは言わない。

10年前の記憶と明らかに違ったのは、やはりファンだ。

若い人から年季の入ったファン、子供からキャピキャピした女性まで。応援する選手のグッズを身に着け、物販売り場は超満員だった。

会場も9割からほぼ満員。

まさに「盛り上がって」いた。


試合について。

これもやはり10年前とは大きく変わってきていた。

同じヘビーの選手でも、身体能力が段違いだからなのか、ジュニア顔負けの飛び技を決めまくったり、あるいは極端にコミカルなキャラがいたり。

それでいてしっかりと「新日本」という感じはキープし続けている。凄いバランス感覚だ。


各団体が差別化を図り、危険技に特化したり、飛び技に特化したり、色分けと細分化が進んでいたのが10年前ぐらいのプロレス。

それが今、総合エンタメとして復活しつつある。

楽しく、激しく、とは馬場さんの言うところの「王道」だが、まさにそれを今回の観戦で感じた。

そして、メインイベントであるスーパーJカップでは「事件」も見れた。この事件性は新日本ならではだろう。

あれを見せられちゃあ、応援しないわけにはいかない。友人もそうだが、俺のプロレス熱も再燃してきた。

やっぱ現場に行くのが大事だな。何事も。

 

映画『アサシンクリード』をアサシンクリードファンが見てきた。(ネタバレあり)

まず、最初っから最後まで通して言えることなので先に言っておくと


尺不足
 

これに尽きる。

まあこれは分かりきってはいたことだ。そもそもゲームというのは、説明に関して制限がない。膨大な説明書を読ませて、ゲーム内tipsとかで説明を随時追加して、プレイ中の好きな時に読ませることが可能だ。

対して映画は、どんなに説明過多にしても2時間の中で説明出来なければ終わりなのだ。


アサシンクリードは原作がゲームであり、その設定の多くはその「ゲーム的説明」によって補完されている。それを2時間で全て説明し切ろうって方が無理と言えば無理なのだ。

物語を見れば、ゲームと必ずしもイコールな物語ではないのでツッコむのも野暮なのかもしれないが、やっぱり気になった。

具体的に何が説明仕切れていなかったのか、気付いた限り紹介する。

エデンの果実

映画とゲームに共通して、アサシンクリードにおける重要な要素。物語は終始これを巡って展開する。
映画では「遺伝情報の全てが記録されている」とかなんとか。まあようするに、これを手に入れると人の考えとかをコントロール出来るみたいな描かれ方だった。


ゲームではどうだったか?

これが登場したのは1のラスト。実際にそれがどのように扱われるかを描いたのは2以降になる。

そこでは「歴史上の指導者や独裁者は果実を所持し、人々を導いていた」という陰謀論全開なエピソードが実際の写真を用いて描かれる。

アサシンクリードで俺が好きなのはこういったダイナミックすぎる歴史感だったりするが、それはまた別の話で。


で、それが使われるとどうなるか。

ゲームでは、周囲の人間を完全にコントロールし、そのまま自殺させることも出来る強力なアイテムとしてゲームには登場する。 


それに比べると、映画の中では「エデンの果実」がいかにヤバいものか、という説明が薄かった。これが物語的にはやっぱり弱い。
支配される、とはいっても実例がゼロなのでヤバいもの感が伝わっていなかったと思う。
だからアサシン達が何でそんなに必死に止めようとしてるのかが伝わりづらくなっていた。

テンプル騎士団

アサシンクリードは、テンプル騎士団とアサシン教団の戦いがメインになる。そして、このテンプル騎士団がいかに巨大な組織なのか、ということがストーリーを通して重要なポイントになっている。

単なるオカルト秘密結社かと思っていたら、政治家、英雄、大企業、ありとあらゆる場所にテンプル騎士団が入り込んでいて、世界を牛耳っている設定なのだ。

ゲーム中のサブエピソードでは、「ニコラテスラが電気を発明したが、テンプル騎士団エジソンに味方してそれを握りつぶした」とかいうとんでもない話があったりする。あるいは、「テレビのサブリミナル映像で人々を洗脳していることに気付いた一家に、テンプル騎士団の粛清の手が迫る」という音声があったり。

さらに実際の歴史的な写真を用いて「実はここにもテンプル騎士団が…」って設定にすることでリアルな恐怖を煽っていた。


まあようするにとんでもない連中だ、ということ。
それも映画では説明しきれていなかったように思う。騎士団の長らしき女性が出てきたけれど、あれが誰かって語られていたっけ? 
なんかテンプル騎士団の秘密基地と聖堂での会合シーンぐらいしか現代の舞台が無かったので、あんまりデカい組織って感じはしなかったな。

アサシンの道具

これは細かい点なのだが、アサシンの道具に関する説明も少々薄かった。

劇中で走りながら遠くの敵を倒す場面がいくつかある。それはそれでカッコいいのだが、問題は「何を使っているかわからない」ことだ。


投げナイフなのか発射式ブレードなのか。肝心な道具が全く見えない。だから、終盤で敵の将軍を倒すときにも違和感がある。

倒れた仲間の武器で一撃を加えるのだが、「あれは何の武器なのか」が全くわからない。
ゲーム内ではストーリーの進行に合わせて様々な武器や道具が使えるようになり、アクションの幅や暗殺手段が増えていく。
これが面白いポイントなんだが、まあ映画じゃキツイよな。


そしてこれはアサシンクリードの代名詞にして映画のハイライト「イーグルダイブ」にも関わってくる。

塔などの高所から落下し、無傷で着地するアサシンの奥義なわけだが、映画ではその過程で「何かを投げて、それによって勢いを軽減しつつ着地する」という描かれ方をしている。

が、その何を投げているかが全く見えない。恐らく冒頭で使っていたワイヤーなのだろうが、それをどう使ってどこに当ててどうなったのか全く分からない。

ゲームでは落下地点に干し草などのクッションがあり、そこに落ちるから大丈夫っていういかにもゲームって感じのアクションなんだが、実写化にあたってさすがに「謎の干し草」じゃあ説得力が無いからってことでアレンジされたんだろうけど。
でもなあ…あんだけもったいつけて描いたのにラストではイーグルダイブをバッサリカットするのもなあ。 

歴史観

ゲームでは、様々な時代で行われていたアサシンと騎士団の戦いを追体験するという設定。
ストーリー自体は架空だが、実際の歴史上の出来事の裏側で起こっているという描き方。
フランス革命や十字軍遠征、アメリカ独立、そういった歴史の裏でアサシンとテンプル騎士団は何をしていたのか?というのがテーマだ。
もちろん人物も。

実際のゲーム内では、レオナルド・ダヴィンチ、チェーザレ・ボルジア、ニッコロ・マキャベリ、ワシントン大統領などが登場して主人公と絡む。


本作でも、スルタンとかスペイン王とかが出てくるのだが、それがどんな人物でどういう歴史があるのか、その説明量が非常に少ない。

異端審問会で焼かれたのがアサシンであり、トルマケダと戦うというのはいいのだが、どうしてもその説明が少なく感じた。
まあ個人的にこの辺の歴史疎いのもあったけど。

ゲームでは「ゲーム的説明」で保管される最たる部分なので、しょうがないと言えばしょうがない。

ただ、「歴史の裏側を見る」というアサシンクリードの魅力は若干薄くなる。

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だいたいこんなところか。

あと、ボリュームの関係で削られてしまったと思われる「鷹の目」の要素も個人的には残念だ。
アサシンの特殊技能の一つで、隠されたアイテムや敵の足取り、ターゲットなどを見抜くことが出来る。
これもカッコいいから再現して欲しかったなぁ。


アクションにスピード感はあるし、街並みはきれいだし、名台詞も再現されている。だからこそ、欠けたところに目が行く。 

この、「大作ゲームを映画化する」という動き自体は今後も続いていくだろう。
大作ゲームの表現はどんどん映画的になっていくから当然と言えば当然。
その中でこの、「説明」ということをどのように行うかは最重要課題なのではないか。


なんのかんの書いたが、悪い映画じゃない。むしろよくやった方だと思うんだよな。

だから、ファンの目線じゃなくて普通の映画好きの目線による評価が気になるところだったり。


ただ、やっぱラストの暗殺はエアアサシンであってほしかったなあ。

 

ポストブラックが最近好きだという話

メタルが好き、というのは何度も話しているのだが、今その中でも特に「ポストブラック」と呼ばれるジャンルにハマっている。

 

名前からも分かる通り、「ブラックメタル」の「ポスト」なジャンル。

ブラックメタルの音楽性を持ちつつ、新しい形で発展させたバンド群を差す。ただ、これはかなり大雑把な分け方だ。

その内部にはなんやかんや細かいジャンルがあり(メタルはジャンル分けが好きだな)、そのルーツはどこで…とか追っかけだすとキリが無い。


まとめて言えるのは、ブラックメタルの暴虐性みたいなものを別の形に昇華した音楽、ということだ。
ブラックメタルがどんなもんか、というのを語りだすとそれはそれでクソ長くなるので割愛。実際に聞いたやつをいくつかご紹介。

Deafheaven

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恐らくこの手のジャンルでは一番の有望株とされているバンド。2010年にアメリカで結成された若いバンドだが、デビュー直後からピッチフォークをはじめとした各音楽メディアで絶賛を受けまくっている。

メガデスのマーティーもお気に入りだとか。

音楽性的にはブラックメタルシューゲイザーの影響がみられる。まとめて「ブラックゲイズ」と呼ばれることもあるが、恐らくそういったカテゴライズにハマるタイプのバンドでもないだろう。

Alcest

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2000年に結成されたフランスのバンド。バンドというかプロジェクトに近い。こちらも、ブラックメタルの激しさと様々な音楽性が融合した、独自のサウンドで人気を博している。

日本にも結構来てたり、アートワークなどもブラックメタル然としない優しいタッチのものが多かったりと、割ととっつきやすいバンドだと思う。

An autumn for Crippled Children

open.spotify.com

オランダのポストブラック/アトモスフェリックブラックメタルバンド。

正直この手のサウンドの中では相当好きな部類に入る。シューゲはもちろんだが、アンビエントだったり、空間音楽的な美しさとブラックの暴虐性を合わせた切なさはやはり気持ちがいい。

このような、ゆったりとしたリズムにストリングスなどを加えたスタイルを「アトモスフェリックブラックメタル」と呼んだりするらしい。
正直似たようなサウンドが続きがちなジャンルだけど、このバンドはアルバムごとに新しいアプローチをしてるのもいいなあと。

VMO(Viloent Magic Orchestra)

www.youtube.com

こちらは日本のポストブラックバンド。

Vampilliaというバンドのメンバーが結成した別プロジェクト。
名前の通り、エレクトロ系統からのアプローチが中心。「踊れるブラックメタル」を標榜しているが、まさにその通り。

エレクトロの快感点とブラックの気持ちよさが一曲に同居している。
正直聞いてて疲れると言えば疲れるんだけど、飲み込まれる感じが癖になるというか。

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個人的に好きなポストブラックをいくつか紹介した。

正直ここに上げたのは一部も一部。ニューロシスみたいな先駆者とか、アゼルバイジャンのViolet coldとか、縦幅も横幅も紹介しきってない。


このポストブラックというジャンルは、メタルの派生としてカテゴライズされることが多いけれど、実際はその枠にとどまらない。

というか、そういった「メタル的カテゴライズ」を嫌う人がインタビューを見ていても多い。好きなもの、好きなことを突き詰めていった結果こういった形になっただけで、別にメタルのためとかメタル魂がとかそういうのはどうでもいいって感じ。


メタルの体育会系気質なとこは、愛らしくもあるが同時に嫌らしさも産む。

まあ俺がベビメタ苦手だったのもそういうのに恐らく根差していたし。

ともかく、そういった「カテゴライズ」から解き放たれつつあるジャンル(なんか矛盾した表現だけれど)、としてポストブラックがあるんじゃなかろうかと思ったり。