Twitterやったり、掲示板に書き込みする時に自分なりに気を付けていることがある。
というか、「こういうフレーズを使わないようにしている」の方が正しいか。
ネットでのリアクションにはスピード感が求められるので、どうしても決まったフレーズや、使いやすい構文に当てはめた発言をしがちになる。
それを繰り返してると、そもそもの思考自体もそれに引っ張られるな、という俺なりの反省から。俺もそういうことしてたな、というの今思えばあるし。
以下具体的なもの。
・〇〇は××なだけ
とりあえずズバッと切ってみました的な書き込み。
実際はそれだけ、なわけがない。世の中もっと複雑だ。
とりあえず分かってる風に雑に総括してみました、ってな感じ。
これが出てくると、「もう考えたり、人の話聞く気がねえんだな」ということだ。
この書き込みにはもう一つ、「××なだけのものにアツくなってんじゃねーよ」と他の参加者に冷や水をぶっかける、マウンティング効果もある。
・普通の人は~、一般人は~、世間は~
「普通の人は○○なんて知らない」、「一般人はそんなこと興味ない」と、トピック自体を否定する書き込み。
使用方法にはいくつかある。
・○○が好き、みたいなトピックで「いや一般人は○○なんて知らねーよ」と○○を腐す
・××の問題について考えよう、みたいなトピックで「普通の人は××なんてどうでもいい」と話を聞くことの無価値さを示そうとする。
結局どの用法においても、自分の都合で「普通・一般」という価値観を自由に変動させて、相手の価値観を無価値なものだと卑下するために使われている。
あるいは、「そんなことにムキになってるお前は普通じゃねえよw」みたいな意味合いとか。
まあ、みんなが知らないから価値が無いとか、興味ないからどうでもいいとか、そういう方向性がいかに乱暴かってのはちょっと立ち止まれば分かることだ。
逆に「普通の人なら知ってるだろ」とか言い出すのもベクトルが違うだけで同じような感じ。
自分から「普通」って名乗るやつには注意した方がいいってのは、ネット現実関係なく言えることかもしれない。
・分かってる人、に責任を丸投げすること。
理解できない説明をするやつが悪い、分かってるやつが分かるように説明する義務がある、分かってるならお前がなんとかしろ、的な。
「分からないこと」はいくつになったってあるもんだとは思うけれども、そこで「分かろう」とはしない。
なぜなら「分かってるやつ」には責任があるから。
だから、ずっと「分からない」立場のまま無責任に他者を非難し続ける。
なぜなら俺は「分からない」から。
そんな無敵スタンス。
俺個人としては「分からないまま」でいることを選択することも相当責任重いと思うけどな。
・余計なとこに石を投げるor投げられたことにする
あえて悪意があるような例を挙げると、
「洋楽は『日本のカスみたいな音楽と比べて』めちゃくちゃ良い」
「○○は『握手だらけの××と違って』パフォーマンスが凄く良い」
この『』の部分いる?ってこと。
もちろん、比較して分析すること自体はあることだけれど、単に好き嫌いを言う時にはいらねえよな。
非難するならストレートに非難すればよくて、対立軸を立てると余計な交流が起こる。
ただでさえ、批判に敏感な人が増えているしね。
あと、対象物の周辺に石を投げちゃうってのもよくある。
「○○つまんなかった!『こんなのを好きな人って頭おかしいんじゃない?』」
みたいな。シンゴジラの時そうやって炎上した漫画家いたな。
同時にこの逆で、『』の部分を勝手に追加してキレる人もいる。
極端な例で言えば、
「中華料理美味いなー」
↓
「中華料理は『他の料理に比べて』美味いなー」←対象が脳内で勝手に足される。
↓
「中華料理以外はマズいってことか!」とキレる人。
いや、そんな話はしてねえよっていう。
まあ、主語大きく語ったりすると起こりやすいことなのでその点も注意。
どちらの用法にしても、話題がどんどんズレていく危険なものなのであまり使わない方がいい。
こういうことに気を付けるようにしてます。
とか書くと、「おめえも過去にやりまくってんじゃねえか!」「自由に意見を書いて何が悪い!」とキレる人が出てくるだろうなーってのも予想してしまう悪い癖がある。
まあ俺が個人的に気を付けてるってだけですので。