吐き捨て系日記

とある20代男が考えを整理するためにブツクサ綴る、ほんとにただの日記です。

ネットの悪意と善意

 水曜日のダウンタウンという番組の企画で「Twitterを使ってどこかに捕らわれた安田大サーカスクロちゃんを助けよう!」というイベントが行われた。

 大いに盛り上がっていたようだが、その過程で無関係な建物へ侵入しチャイムを鳴らしてしまうなど一般市民に迷惑をかける行為が相次いだとして開始したその日に企画は中止になった。

 

 企画の詰めの甘さ、例えばクロちゃんのいる部屋と他の部屋の区別はどうつけるのか?位置情報やタグなどの設定についての説明など番組側の落ち度はかなりあった。

最近の番組では「攻めてる」とされ、出演者や一般市民までも小馬鹿にしたような作りが賛否を呼ぶ番組だが、ネットを手の上で転がすことは出来なかったようだ。

 

 ツイッター側の動きを見ていて改めて感じたのは

 

「ネットの善意はタチが悪いし、ネットの悪意は歯止めが効かない」

 

ということだ。

今回、クロちゃんの居場所を必死に探して、間違った場所を拡散した少年が誹謗中傷の対象となっている。彼に悪意はあっただろうか?恐らく無い。逆に痛々しいほど善意に満ち溢れている。だからこそタチが悪かった。

 

クロちゃんの居場所を騙り、企画を混乱に陥れた者もいた。また、終始クロちゃんおよび番組のツィッターに暴言を吐き続ける人も少なくなかった。

 

ネットは相互監視社会であると言われる。ベンサムが考案した監獄モデル「パノプティコン」がその典型例であり、囚人が互いに監視し合うことで看守が締め付けるまでもなく、囚人は規範に従うようになるというものだ。

 

今回のツイッターの件では規範が崩れ、害を被る人が出た。相互監視のはずのネット、ツイッターでだ。それはつまり「見られていることに気づいていない囚人」と「見られていても気にしない囚人」がいるということなのだろう。善意を振りまくのは前者、悪意を振りまくのは後者だ。

 

どちらも存在することで規範を壊す。ここでいう規範とは、社会のモラルなどもそうだが、例えば会話の中で流れを乱す、良好な空気を破壊する、なども含まれる。

 

怖いのは、こうして規範を破壊する行動を行っても、例えばツイッター上や2chのスレッド上ではコミュニティが形成され会話が成立しているように見えることだ。まとめサイトではなく2chのスレッドをじっくり読んでみるといい。どれだけの人間が「会話」をし「空気」を作っているのか。

もはやコミュニティ内に「空気」を生み出す装置は無く、外部から与えられたものを演じているだけで、当のコミュニティ内には何も無い。

 

そうした構造が今回の件を生んだのでは?などと考えてみた。

 

ただ、こうして俯瞰したように書いたところで、僕自身もどこかで無自覚にネットの住人を「演じて」いるのだろう。それがいつからか、どういった物なのか思い起こすには歳を取ったし、ネットの流れは速すぎる。