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吐き捨て系日記

とある20代男が考えを整理するためにブツクサ綴る、ほんとにただの日記です。

露悪日記の姿(3)

ブログをここで書き出してしばらく経つ。

自分で書くようになって、それまで読むことも無かったようなブログにも興味が出てきた。そういったものを読み、いろいろと考えを巡らせ、自分のブログに帰ったとき驚いた。

「こいつ何言ってんだ?」と

 

主に、書き出してから変わったことをピックアップする。

 

・批評、鑑賞の仕方

これは音楽など、作品をどう見てどう考えるかということ。ベビメタが嫌い、という記事を書いて、そこに当時の思いを吐き出した。

そのあと、批評に関する本やブログを読んでいき、自分なりにまとめることが出来た。

そうした段階で振り返ったあのブログに対し、得も言われぬ恥ずかしさを感じた。

 

まず、文脈で楽しんでるという記述。これは作品に触れたときの感情、興奮を記すことを避けるようにしてきていたことの表れでもある。

結局音楽を聞けばテンションが上がるし、映画をみれば悲しんだり血が滾ったりする。いつの間にかそういうことを脇に置く癖がついていた。

ロックという音楽はしばしば「世界を変えた」とか「社会に反抗」といった形で語られる。最近のロックと政治論争でもそういう傾向はみられる。その結果、曲の話というのは実はあまりされてこなかったんじゃないか。

それに気づかされたのはスーザン・ソンタグの「反解釈」という考え方だ。

 

簡単に言えば「作品はそれ自体を注視することが大事であり、外部的なものと結び付けて分析することは、作品自体を腐らせてしまうことになる」という感じだろうか。

これは蓮實重彦の「表層批評」と似ているんだろう。難しくて放置していた本だったが。

 

つまりは、作品が「どう描かれているか」が大事であって、「何が」とか「誰が」とか「いつ」ってのはそれほど重要ではないということである。

正直言えば「楽しけりゃいいよ」って考え方は嫌いだったのだが、言われてみればこちらの方が素直に作品を楽しんでいる。もちろん、歴史背景やテーマの意味みたいなものは価値があるが、それは作品、芸術それ自体の価値ではないということ。

ロックという音楽は、そこをまぜこぜにして語られているからこそ、ジレンマのようなものを抱えているのかもしれない。もしくは、そこを一つに出来るから魅力的なのか。

 

「アーティストに政治的発言をされると冷める」

 

というのも分からなくはない。それは逆に、社会的価値によって作品の価値が変化すると考えていることの現れだ。だからこそ黙っていてほしい、ということ。

作品の価値は変わらない。

 

ともかく僕自身も、そのあたりを混同してしまっていた部分があるようだ。そこは反省しなければならない。

 

ただ一方で、楽しみ方にも質はあるということも大事だ。隅々まで目をこらし、細部にまで気を配って、集中して鑑賞する。その姿勢を忘れてもいけない。

前にも書いたが、「何を」楽しんでいるかにこだわる必要がある。そのためにはいろんなものに触れ、新たな知見と感性を得る必要があるだろう。

そういう意味ではいつか、ベビメタを好きになる日が来るかもしれない。ただ今の感じで行くと、まだ好きにはなれないな。

 

↓もがいてた頃の日記

inak555.hatenablog.com

 

inak555.hatenablog.com

 

・「俺」と「僕」

一人称をどうするのかということ。友人同士の日常会話では「俺」という一人称を使っている。少しフォーマルな場では「僕」。仕事や冠婚葬祭の場では「私」だ。

 

書いていて気付いたのは、テンションが上がってくると「僕」から「俺」になっていく。一人称の違いは距離感の違いだ。相手との距離感によって使い分ける。そう考えると、「俺」になっていくのは想定される読者との距離が近づいていることを意味しているんだろう。

そしてどっちが寄ってきているかといえば間違いなく筆者だ。書いて、テンションが上がっているうちにどんどん読者に近づいてくる。

実際に想像したら中々暑苦しい。

読者の方が近づいたり離れたりするのは当然だが、筆者はあくまでフラットであるべきだと思う。

だから、少なくとも一人称が揺らぐことの無いよう、冷静さを持たねば。

 

・自分の性質

自分の趣味や物事に対する考え方を文章にして省みると、自分でも気づかなかった性質に気づく。

僕は自分では、そこそこ明るい方だと思っていた。友達もいるし、休みに遊びに出かけたり、飲み会に行ったりもする。よくしゃべる方だし、笑いも取る方だ。

 

それとは逆にブログに自分の考えを書いていて気付いた性質、それは「悲観的」ということだ。

ものごとが悪くなる方へ考えがち。きっとよくなる、と思うことが少ない。

根底でネガティブな人間なんだろう。だから攻撃的なものを好む。自分で発露できないから。だから他人に明るく振る舞う。怖いからだ。

 

メタルが好きなのもそう。ある種のネガティブ感情をそこに感じているからだろう。それを「露悪的」と評したコメントがついた。

そもそも、それがカッコいいと思ってやるのは別に悪いことでもない気がしている。そういうある種思慮の無い、衝動のようなものは、いずれ失われるものだ。

少なくとも、それが音楽という形で表現に向かうのはいいんじゃないのか。

 

しかし、聞く方は…いつまでもそれでいいのか俺は。

 

inak555.hatenablog.com