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吐き捨て系日記

とある20代男が考えを整理するためにブツクサ綴る、ほんとにただの日記です。

とある男の敗北の告白(4)

露悪は偽善だ。

 

今の時代、偽善であり続けることの方が難しい。「意識高い」と馬鹿にされる人たちを攻撃しているのは露悪家だ。「どうせ裏があるんだろう」「金儲けのためだろう」そう言って攻撃する。そっちの方が楽なのだ。

 

ジョン・レノンの活動、偽善と言われることもあるが、それを貫くことの方が大変だし困難なのだ。

メタルの露悪、攻撃的な歌詞やサウンドや見た目、一見それでいることは困難で大変だと思える。俺もそう思っていた。

 

それでもやるのが「カッコいい」と。しかし、それの方が楽だというのが「露悪」という指摘だ。ベビメタはそこで、露悪に走らず挑戦したと。そして勝ったと。

露悪の敗北。仮面を奪い去られた俺たちは自分たちの醜さに絶望した。そして逃げ込む先を探す。

 

 もっと悪いものは無いか、もっと過激なものは無いか、そこに逃げ込め!ということだ。人間の恥部に目を向けている行為を正義、純な行為だとし、偽善を断定している。

いや、俺の場合はもっとひどかったかもしれない。

なんとかそれを肯定し、自分を守ろうとしていた。

 

メタルファンならご存じの事実として、北欧ブラックメタル界隈では過激さを競い合った結果、殺人や自殺という結果に向かうという痛ましい事件があった。

 

ともかく、露悪趣味に染まっていた部分はかなりあったと思う。

ではメタルを聞いて高まったりしていたことは、それはやはり露悪だったのか。メタルのサウンドから得る快感は間違いないとは思うが、そこに歪なな付加価値を足していた、ということだろう。

 

次に業界内の立ち位置。メタルは僕が聞き出した時にはすでに「終わった」音楽だった。90年代のグランジ、オルタナによってスタジアムロック、ヘアーメタルは「古いもの」とされ駆逐された。

それでも世界各地でメタルバンドは無くならなかった。北欧でもアメリカでも次々「終わった」はずのメタルバンドは新しく生まれ続けたし、ベテランバンドたちも新作をリリースし続けた。流行なんてもんはすでに無い。それでも彼らは現れる。

ある意味では往生際が悪く、潔くないのかもしれないが、それでもメタルという音楽を貫く彼らの姿勢が好きだった。

 

なんて書いてたが、結局そういうことで、悪ぶってるのが好きだったということ。中二病の音楽といえばまさにその通りだった。で、中二病、悪くねえじゃん!ということになる。

もちろん、俺は現実でヘイト振りまいたりはしていない。折り合いをつけて生きるようになった。そんな中で、中二病的な、露悪的なものに対するあこがれを結局捨てれずにいた。それを、メタルという音楽、その他に委託していたのだ。

 

「あんなの本物じゃねえぜ!」という、ロックでは昔からあった言説もそうだ。俺の方がカッコいい、純である、そう言いたい。それが行動原理だったパンクやグランジはそのジレンマによって崩壊した。

メタルもまた、何度か殺された。その度に過激になり、過剰になって帰ってきた。デス、ブラック、ゴアグラ、シンフォニック。その結果それは音楽的面白さは増したかもしれない。

 

メタルの根底にある、隠し切れないネガティブな感情が、時に攻撃的な、時に過剰ともいえる美意識で表現されるのが、僕にとってのメタルの魅力だ。

 

と書いたが、確かにネガティブ感情なのだ。悪くありたい、アウトローでいたいという欲求。それは同時に俺が本物だということを示したいという欲求だ。

夏目漱石が記した「露悪」とは「偽善者」とは真逆のやり方で「偽善」を行使する。ある種姑息ともいえる行為だ。

俺が善であるという表明、それをこねくり回した結果。

 

あまりにこじれすぎている。素直に聞ける回路は残っているだろう。体が動く、心が躍る。それは残っている。しかしそこから生えた根が、深くねじれている。

 

それでもいい!と表明すること、それは敗北なのか。

 

俺はまだ、自分の中にある「それ」を支配できていない。ある意味「そいつ」に負けた。もし仮に「そいつ」を支配出来たときに見える世界はどんなものだろう。

「敵」ではないが、「味方」ではない。しかし、飼いならす必要がある。

でなければ、一度バランスを崩せば俺を食い殺す。

 

そのために、俺はもう一度、様々なものと向き合い直さなければならない。

通ってきたものを、実践によって問い直す必要がある。そもそも、多くの人はそうならない。何か、現実の出来事からそれを学ぶ。

 

俺は現実に触れるまで時間をかけ過ぎた。それが「そいつ」を巨大化させた。俺が作ったものだからこそ責任をもって俺が処理しなければならない。

 

露悪的に吐き出した吐瀉物を誰が片付けるのだ。俺が片付けるしかない。

結果どこに帰ってくるのかまだわからないが、行く先はある程度見えた。

それをこのブログで綴っていいのか。いや、綴るしかない。

様々な作品に触れ直し、問い直す。それは非常に主観的な行為であり、誰かのためになるものではない。しかし、誰かの目に触れなければ意味がない。恥は見られて初めて恥だ。

 

申し訳ないが、ここで恥をさらす。それを見て嘲笑するも、憐れむも、軽蔑するも自由だ。だが今はそれだけさせてほしい。

 

 一度でも好きになったメタルやロックをもう一度好きになるために。

 

inak555.hatenablog.com