吐き捨て系日記

もう30になっちゃう男が考えを整理するためにブツクサ綴る、ほんとにただの日記です。

ロック、メタルの行く末

thesignmagazine.com

かの有名な音楽評論家、タナソーこと田中宗一郎さんの記事。

はっきりと言っている「ロックは全滅」と。正直、スヌーザーとかは苦手だったんだけれどもタナソーさんの記事にはやっぱグサッと刺されるような指摘がある。


俺がロックを聞き出したのは中学二年のころ。ちょうど日本では青春パンクがブームになっていた。モンゴル800の大ヒットに端を発する、別の見方をすればアフターHi-STANDARD世代。 


イギリスではホワイトストライプスやフランツみたいな割とシンプルで踊れるようなロックが流行っていた印象がある。アメリカではリンキンパークやリンプビズキットみたいなラップメタルが流行ってて、日本でもミクスチャーと呼ばれて流行していたような気がする。
性格に年代を並べると若干バラつきがあるが、まあ田舎の高校だししゃあない。


一方で、俺は父親から昔のロック、ビートルズからツェッペリン、ディープパープルやエアロスミスなんかの70年代ロックを聞かされていた。 

当時、日本でもヒップホップも一般層に流行しはじめ、アイドルも流行の兆しが見える中でロックも「まだ」夢を見れる音楽だったような気がする。

GLAYラルクみたいに大ヒット飛ばすバンドもいたし、インディーズでもメジャーに負けない動員を誇るものも少なくなかった。


いつからだったか、新しいバンドが出てくるたびに「なんか違くね?」と思うようになったのは。 


例えばオレンジレンジ

大ヒットしたし、楽曲も様々な音楽からの引用があって面白い(軽く問題にはなったが)。でも当時の俺は「こんなもんロックじゃねえ!」と思っていた。 


今に目を向ける。ゲスの極み乙女SEKAI NO OWARI、その他たくさんのバンドが現れている。でも、彼ら彼女らに対して「ロック」だと思えなくなっている自分がいた。 

思うに、俺が欲していたのは「俺だけの音楽」ではないかということ。

「みんなで楽しく」というものではない。「俺の」ものであることが大事だった。


いわゆる青春パンクの代表格にゴーイングステディがある。余りに生々しい学生時代の思いを激情に乗せて歌うスタイル。それは、みんなのものとして消化するには尖りすぎている。

だから熱狂的なファンがついた。誰かにとっての「俺の」音楽になったのだろう。 


他の人にはわからない、そういうものを求めていた。 

ただ、ロックという音楽が形式的に持っているヘヴィネスやラウドネスは、一定のコミュニティに奉仕することが半ば目的化したポピュリズム音楽=ポルノ音楽を作るにはとても便利。という現実があります。彼らやJ-ROCKの大半を見る限りにおいては。

というわけで、至極乱暴に言えば、コミュニティとトライブを横断し、そこに対話と思考と行動の掛け橋を架けようとするアートとしてのロックはもう存在しないんですよ。ほぼ全滅。実際、ロックの世界にはビヨンセもリアーナもいなければ、ケンドリック・ラマーのような存在は現れてきていません(もっともレディオヘッドという例外中の例外と、これまた今、とても独自なポジションにいる再結成後のストーン・ローゼスという厄介な存在もいるにはいるんですが)。

 

(中略)

 

現在、ロックにしろ、インディにしろ、「バンド」は非常に苦しい立場に置かれています。もしくは、既存のロック・コミュニティ、インディ・コミュニティにのみ向けた作品を作る/活動するという傾向が強まりつつあります。で、そうした現象が加速すると、どれだけ優れた作品だとしても、音楽的にも文化的にもハイコンテクスト化に拍車がかかり、ポピュラリティを得ることが難しくなってしまう。世界的にBABYMETALが発見される以前、メタルの世界が陥っていた現象を想像してもらってもいいかもしれません。

そうなると、ジャンルとしてのアクチュアリティを失ってしまい、ごく一般には単なる「音楽的傾向のひとつ」へと貶められて、こんな風に「イメージとしてのロック」に回収されることが増えていくわけです。


最近の日本ロックを引用し、タナソーさんはこう綴っている。思えば、俺がロックを聞き出した2000年代半ば、その頃からこの傾向はあったのだろう。

そして、俺が年を重ねてメタルへと行きついたのも当然といえば当然なのかもしれない。 


メタルは、強い拒絶が音に現れている。 

近づくな!触れるな!恐れろ! 


そうやって敵を遠ざける。だから仲間意識は強固になる。日本のメタルファンは特にその傾向が強いらしく、海外のメタルドキュメンタリーなんかではしばしばオチになる。このバンドにこんなにファンいるのかよ!的な。 


どうやらそこに安住してしまっていたようだ。そうして、もがき苦しんでいるロックをどこか第三者目線で見ていたような気がする。

それはBABYMETALの登場であっさりと崩壊した(またかよ!)。


そこで俺はアイデンティティクライシスに陥った。なんという、中二かよ。そこにいたり、メタルをはじめロックやらなんやらを聞きなおした。 

 文化が分断され、細分化され、各々のジャンルにおけるピュアリストどころか、特定の作家にのみ執着するリスナーばかりが増えていく今の時代にあっては、時代を超え、ジャンルを超え、クロスオーヴァーしていくことはあまり分があることではないようです。

しかし、今から20年近く前、ディアンジェロが「俺はずっと、それぞれ分離しているブラック・ミュージックのジャンルをすべて一緒にまとめようとしてきたんだ」と語ったように、ポップ音楽はいくつもの分断された異なる房をひとつに繋ごうとする夢の掛け橋です。ポップ音楽とは、音楽が鳴っている瞬間に他者の喜びと悲しみを生きることであり、重層的に重ねられたさまざまな記憶と歴史に出会うこと。そして、対話と理解と調和を促すもの。ここ20年、ずっと同じことしか書いてない気もしますが、これだけはやめるつもりはありません。特に今のような時代なら、なおさら。  


そういやそうだった。No Borderだからロックは、ポップは人を感動させるんだ。俺は目の前のバンドや現象だけを見て、横にいる人間をほとんど気にしていなかった。

作品評論としては正しいのかもしれないが、それはロックではない。 


メタルは閉鎖的、と先に記述したが、実はなんでもかんでもメタル化してしまうという貪欲さもある。ジャズやEDM、ラップもメタル化されている。アカペラでメタルをやるやつもいる。

バンド側は開いていた。閉じてったのは一部のファンだけだ。 

俺は、BABYMETALに、一番開いてほしくないところを開いてしまった奴らという嫌悪感があった。


境界を超えるものとしては間違いなくロック的存在だ。凄いエンターテイメント力を持っていることは前の記事でも認めた。

アイドルとメタル、どっちも閉鎖的な空間の音楽だ。だから余計に嫌悪感があったんだろう。


そういう感覚を少しづつ、取り去らなければならない。合わないのはしょうがないとしても、嫌悪感を作ってしまってはいけないな。 

でなければ、一生youtubeの90年代リミックスを聞き続けるクソつまらないジジイになってしまう。


ロックコミュニティ、メタルコミュニティ、アイドルコミュニティ、ネットによって大きく開いていくと思われたものは逆に閉じていった印象がある。聞きたいものだけを聞く、境界を超えない。音楽に限った話じゃない。本来こういうのは作るべくして作るのではなく、自然と、好きなやつ同士が集まってできるもんだ。目的化してはいけない。 


つまらんコミュニティを破壊するのがロックだし、メタルだ。 


ただ、だからっつって破壊者に対して感謝をするのもなんか嫌だ。「壊してくれてありがとう」ってなぁ。 

「やりやがったな!だったらやりかえしてやるぜ!」ってカラッとした競争がやっぱり好きなんだ。似たようなこと何度も書いてる気がするけど。


少なくともファンとして、率先して閉じるようなことはあってはいけないだろう。もちろん、だからってなんでも楽しめないやつはクソ、とかは思わない。 

中二の感性を捨てられない、何にでも攻撃的になってしまうメタルの不器用さは本当に好きだ。大人になれとは言わない。そういうのを捨てて全てエンタメでいいじゃん!とも思わない。

閉鎖的になったからこそ難しくハイコンテクストになったものだって嫌いじゃない。だが、一分のポップさ、これを無くしてはいけない。


そして、メタラーは知ってる。お前らすげえんだよ。だからもっと、俺らなんかよりももっと広い人に愛され評価されてほしいんだ。境界を越えていってほしいんだ。 


そういう意味で、メタルバンドの多くがBABYMETALの姿に感動してるのはわかる。そう思わせたのは偶然の要素も少なからずあっただろうが、必然的な部分が大きいはずだ。 


日本のアニソンやアイドルに、ロックの人脈が流れているのもわかる。アニソンやアイドルというフィールドの中ではあらゆるものがクロスオーバーする。


どちらにしろ、メタルはここから変わる。いや、変わらなきゃいけない。境界は開かれた。

と言っても急にポップになったり、別の音楽性を無理やり入れて総スカンくらう、なんて方向では無い。メタルにしかないもの、それを追求し、境界を越え、世の中に見せつけてやってほしい。驚かせてほしい。 


メタルはBABYMETALだけじゃねえんだよ!
 


結局、メタルファンとして見てみたい光景を全部ベビメタにやられて、悔しくてしょうがないってことですよね。嫉妬?ごもっともです。

友人に言われた「周りを気にし過ぎ」ということかもしれない。


ただ、結局ロックもメタルもそうならなければ、境界線を越えていく力を示さなければ、消えていくしかない状況にはある。音楽ジャンルという、文化というより単なる区分、塩味かみそ味かぐらいの差でしかなくなる。ロックでなくてもいい、メタルでなくてもいい、そんな風になる。 


怒るのもいい、嘆くのもいい。だが、世界は前より広い。今までと同じままではいられない時代だ。そこでどうするか、ロックはまだロックでいられるのか。サマソニフジロックのヘッドライナーがいまだにレッチリレディオヘッドのままだって状況は変えなきゃいけない。 


「ロックは死んだ」とよく言われる。俺もそう思う時もある。ただ、まとめて「死んだ」って言われるとロックにしてもメタルにしても、カチンとくるのは事実なわけで。実際新しいロックバンドやらメタルバンドは出て来てる。ここで言う「死んだ」とは、「マスにウケる音楽としてのロック」だ。

上でメタルもっと頑張れよなんて書いたが、好きな人はずっと聞いてくれる。

殺伐と競い合い、美意識をぶつけ合うような、そんな時代では無い。だから、そういう意味でのロックの役割は終わりつつあるってことだと思う。


残ったのは亡者というか、かつてのロック的闘争の幻想や快感が忘れられないやつら、そいつらの存在は今の時代、ひたすら疎ましい。


そのうちの恐らく一人である、俺が欲しくてたまらないのは「安心感」ではなくて「焦燥感」というか、このままではいけないという焦りや不安なんだろう。 


それを、アイドルから与えられるってのは不覚だった。それにやられるオッサンの気持ちも分かる。メタルはまだラッキーだったのかもしれない。

 ロックじゃなきゃ出来なかった、メタルじゃなきゃ出来なかった、そういうものは絶対にある…はずだと信じたい。そういうものは、コミュニティの外からじゃなきゃ気づけないのかもしれない。 


こだわるべきは「好きなもの」であって、それに誠実であること。ジャンルが好きなのか、何が好きなのか、それを考えたら、こだわるべきものと、縛られるべきではないものがはっきりする。

それが結果として、「ロック」と呼ばれるものだったり「メタル」と呼ばれるものになることはある、似たようなものが集まり、積み重なって名前が付く。最初から「ロック」であることに縛られてはいけない。

手段と目的がどうなっているのか。結果がロックであることが大事なんだ。それはもしかしたら、望む通りのものとは違うかもしれない。


それはファンも同じ。「ただ楽しめればいい」それも分かる。でも、エンタメであっても、作品は何かしらのイメージを想起させ、訴えかけてくる。それに対して「あー楽しかった」だけで済ませるのは、それはそれで冷たい気もする。

「楽しさ」だけに縛られることも危険なんじゃないかとも。 


俺は何が好きなんだろう、と思い立ったとき、ぼんやりとしていたものが形になる。多くの人の形が積み重なって現象になり、文化になる。確かにマスにウケるロックは消えつつある。が、ロックが消えたわけじゃない。今後も新しい人たちは出てくるし、彼らは新しいものを俺たちに見せてくれる。そこから何が起こるのかは想像もつかないが、期待をすることは無意味ではないだろう。 


 作品や作品の作り手のことをファンが気にすることはないという意見がある。それは確かにわかる。だが一方で、エンタメとなった場合、そこに客がいて初めて成立する。間違いなく、客もエンタメの一部なんだ。

そこで客、リスナーはどうあるべきなのか。怒るときは怒ればいいし、泣くときは泣けばいいし、考えるときは考えればいいと思う。「お前らは楽しんでればいいんだよ」的に、サクラになっちゃうのもあれだし。


必要以上に意識的になることはないだろうが、あまりに無意識的すぎるのも良くないんじゃないかな。 


俺は意識的になりすぎていた。だから、色んな評論や評価の中で自分の立ち位置を探してオロオロしていた。俺に都合のいい場所なんてそうあるもんじゃ無し、寄りかからず立つ力を持たなきゃならん。

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