吐き捨て系日記

もう30になっちゃう男が考えを整理するためにブツクサ綴る、ほんとにただの日記です。

自省する話(アンチの話)

シン・ゴジラが面白かったという記事を書いた。

映画の動員も上々なようで、評判もいいらしい。そいで、2chなどに感想を見に行ってみた。本スレはやはり興奮のるつぼというか、あそこが良かったここが良かった、という話で盛り上がっている。

そんなスレにはつきものなのが、いわゆるアンチの存在だ。

 

「こんなもんクソだ」と言い張り、「楽しんでるやつは○○だ」「好評なのはステマだ」

そういって楽しんでるやつらに噛みつく。

 

 

俺もそうだったんかなぁ…と思った。そう、ベビメタに対してキレてた頃の俺はこんな存在だったんだろうか。

 

まあ、こういう時は食べ物に例えりゃわかりやすくなるわけだ。

 

何か、辛い料理があったとしよう。

 

「辛いし美味いなこれ!」「この辛さがたまんねーぜ!」

「こんなもん有り難がってるのは味覚障害」「辛いだけじゃん」

 

なんと不毛な…。もちろん、良い点があれば悪い点もある。

完全無欠だなんて誰も思ってないだろう。俺もそうは思わない。

ただ、良いところを話してた方が面白いからそうしてるだけだろう。

 

あそこが悪い!ここが悪い!と盛り上がるのもそりゃ面白いのだが、結果マイナスを振りまいてしまうわけなんだな。マイナス感情で集まってくる人間には碌な奴がいないだろう。

評論として、批判的意見はあるべきだとは思うが、往々にしてこういう時の批判というのは作品から離れていく。

 

見てるやつがどうとか、作ったやつがどうとか。

 

何でわかるかって、俺がそうなりかけてたから。

こういう時大事なのは、作品のこういうところが悪い!という指摘の前に、何故俺は楽しめなかったのか?という点を明らかにすること。そして、正当化に走らないこと。

 

そういう意味で、小林よしのりは「わしの望んだゴジラでは無かった」とはっきり言って酷評した。それに文句つけるやつはいないだろう。

それを、絶対評価として「駄作」やらなんやら断罪するのもアレだし、かといって「神」として崇めまくってしまうのも良くないんだろうな。

 

主語の「俺」というのを忘れちゃいけないな、と。昔の記事を見直すと恥ずかしいが、当時はそう思ってたから仕方ないね、前、って言っても数週間前なんだけどな。

 

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嫌いなもんに対する意見の書き方として

「俺は○○という作品が好きではない。理由は××という点が個人的に好きではないからだ。」

なら誰も文句は言わない。まあ同時にかまっても貰えないんだけどな。

「正しいか」「正しくないか」という議論にしてはいけないということだよな結局。