シン・ゴジラが面白かったという記事を書いた。
映画の動員も上々なようで、評判もいいらしい。そいで、2chなどに感想を見に行ってみた。本スレはやはり興奮のるつぼというか、あそこが良かったここが良かった、という話で盛り上がっている。
そんなスレにはつきものなのが、いわゆるアンチの存在だ。
「こんなもんクソだ」と言い張り、「楽しんでるやつは○○だ」「好評なのはステマだ」
そういって楽しんでるやつらに噛みつく。
…
俺もそうだったんかなぁ…と思った。そう、ベビメタに対してキレてた頃の俺はこんな存在だったんだろうか。
まあ、こういう時は食べ物に例えりゃわかりやすくなるわけだ。
何か、辛い料理があったとしよう。
「辛いし美味いなこれ!」「この辛さがたまんねーぜ!」
「こんなもん有り難がってるのは味覚障害」「辛いだけじゃん」
なんと不毛な…。もちろん、良い点があれば悪い点もある。
完全無欠だなんて誰も思ってないだろう。俺もそうは思わない。
ただ、良いところを話してた方が面白いからそうしてるだけだろう。
あそこが悪い!ここが悪い!と盛り上がるのもそりゃ面白いのだが、結果マイナスを振りまいてしまうわけなんだな。マイナス感情で集まってくる人間には碌な奴がいないだろう。
評論として、批判的意見はあるべきだとは思うが、往々にしてこういう時の批判というのは作品から離れていく。
見てるやつがどうとか、作ったやつがどうとか。
何でわかるかって、俺がそうなりかけてたから。
こういう時大事なのは、作品のこういうところが悪い!という指摘の前に、何故俺は楽しめなかったのか?という点を明らかにすること。そして、正当化に走らないこと。
そういう意味で、小林よしのりは「わしの望んだゴジラでは無かった」とはっきり言って酷評した。それに文句つけるやつはいないだろう。
それを、絶対評価として「駄作」やらなんやら断罪するのもアレだし、かといって「神」として崇めまくってしまうのも良くないんだろうな。
主語の「俺」というのを忘れちゃいけないな、と。昔の記事を見直すと恥ずかしいが、当時はそう思ってたから仕方ないね、前、って言っても数週間前なんだけどな。
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嫌いなもんに対する意見の書き方として
「俺は○○という作品が好きではない。理由は××という点が個人的に好きではないからだ。」
なら誰も文句は言わない。まあ同時にかまっても貰えないんだけどな。
「正しいか」「正しくないか」という議論にしてはいけないということだよな結局。