「お前って○○好きで詳しいんだろ?教えてよ」みたいなのは苦手だ。
俺はその裏にどうしても傲慢なものを感じてしまう。それは、
「好きならば、魅力を教えられるはずだ」という押し付けと、
「面白いものなら、教えられれば理解できるはず」という思い込みだ。
そしてこれに上手く答えられないとどうなるか。
「こいつは好きなものを分かってないニワカ野郎」になるし、
「俺が理解できないってことはそもそも面白くないもの」になる。
というか、せめて入口に自分で立てよってことなんだよな。俺の友人が最近プロレスにハマったという話を以前したが、あいつは自分で興味を持ち、試合をネットで見てそのうえで「ここからどうすべきか?」と俺に尋ねてきた。
そうなれば、俺も勧められるし、一緒に楽しむことも出来るだろう。
別に無理に今すぐ全てを楽しむ必要はないのだ。
一目見て、一聴して惹かれなかったら今はその時ではない。
もし、どうしても今これを楽しみたい!というのならひたすら触れまくるしかない。その中で惹かれる瞬間があってからスタートだ。
大事なのは、物事を楽しむためのチャンネルは自分で作らないと増えないということ。今のまま楽しめるもの、をひたすら求めても、いずれ限界が来る。
楽しめないものの方が多くなってくる。そうなったときに人は老害になる。
「最近の○○は~」と言い出す。
若ぶる必要はないけど、チャンネルは増やしといて損はない。
逆に、若いうちに昔のものを楽しめるチャンネルも作っておけたらいいよな。
だって楽しいじゃんそっちの方が。