恐らく、語ること自体が非常に難しい映画の一つである『ブレードランナー』。
その続編だというのだから大変だ。
で、見てきた。
ぶっちゃけ、考察だなんだが出来るほどの知識と含蓄は無いのであくまで感想ベースで書き残しておく。
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ーーーーーーーーーーーーーーーー(ネタバレあり)
主人公「K」は新型のレプリカントであり、同時に旧型のレプリカントを狩る、いわゆる「ブレードランナー」。
家ではホログラムの彼女「ジョイ」と暮らしている。最近、新型デバイスを手に入れたことによって、家の外にもジョイを連れ出せるようになった。
そんな時、始末したレプリカントの家から驚愕の事実が見つかる。
「レプリカントが子供を産んだ」
元々労働力として生産されたレプリカントにそういった機能は無いはずだった。
しかし、これが繁殖機能を持っていたとすると大変なことだ。
LAPDの上司はそれを秘匿し消滅させようとする。
一方、新型レプリカントを作り世界を牛耳るウォレスは、レプリカントの生殖機能によってさらなる量産をもくろむ。
そしてそのカギを握るのは、レプリカントの子供の親である、かつてのブレードランナー「デッカード」だった。
あらすじはこんな感じ。
上映時間は2時間44分。結構長い。
で、レビューとか見ると「長すぎ!」「冗長すぎ!」ってな感想も多かった。
まあ分からなくはないんだけど、そういったレビューの締めは大体「2時間で収まる話だろ」だ。
俺は逆に、「やれるなら3時間でもやってくんねえかな」って思った方。
この物語、結論から言うと決着はほとんど何もついていない。
レプリカントの神たるウォレスは相変わらずだし、デッカードも娘に会ったところまで、そして蜂起をもくろむ旧型たち。
彼らは何も決着をつけていない。
唯一成し遂げられたものは、「K」が「自分のやりたいこと、やるべきことを成し遂げる」ということ。
常に指示に従いレプリカントを処理してきたK。生殖機能は無いし欲求もほとんどない。
趣味があるわけでもない。
なぜならレプリカントだから。
そんな彼が、初めて手にした希望。「俺はレプリカントから生まれたレプリカントなのか?」という希望。
これはもろくも崩れ去る。自分を唯一プログラムながらも愛してくれていたジョイもデータが破壊され、警官としての職務も失い、何より「特別なレプリカントである」という希望も失った。アイデンティティはすべて失われた。
そんな彼を求める人もいる。
「一緒に立ち上がってくれ」と願い、秘密保持のためデッカードを殺すように促すレプリカントたち。
しかし彼は、そこに与しなかった。
Kは誰に願われたわけでもなく、デッカードを本当の「特別なレプリカント」である娘に会わせて息を引き取る。
「大義のために死ぬことが~」とかレプリカントは誘惑してくるし、ウォレスは「俺は神になる」的なことを延々言ってるわけだが、Kはどれにも属さず自分のやること、やりたいことをやる。
最後の最後にKは本当の意味で「特別なレプリカント」になった。
なぜKは特別になれたのか?
それは「愛」。というと少しクサい感じもあるけれど実際そうなんだろう。
「子供」という愛の結晶。自分がそうであって欲しい、と思った瞬間からKは愛を求めだす。ジョイと身体を重ねようとする。
そしてそれらを失った。
だから彼は「特別」になれたんだろう。
そして、デッカードの愛のために彼は力を貸す。
登場人物の中で、最後の最後に最も人間的な行為を行ったのはレプリカントのKだった。
退廃しながらも美しい、愛に溢れているけど悲しい映画だった。
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俺の感想はこんな感じ。
例えば「レイチェル」という名前がユダヤ人の母たる「ラケル」に由来しているとか、「「結局デッカードってレプリカントなの?」とか、「折り紙の意味は!」とか、「ジョイ可愛すぎぃ」とかいろいろあるとは思うんだけど。
そういうのを一旦置いておいて、この物語を「Kの物語」として俺は楽しんだ。
ビジュアル面は相変わらずすげえし、音楽の重低音も効きまくってた。
ワンシーンは確かに長いんだけど、その空間が作りこまれてるから俺は退屈せずに見れた。
賛否あってまあ然り、という感じだけど、俺はこの作品を「名作」の棚に置いておきたい。