Shazamってアプリがありまして。
音楽を聴かせると即座にどのアーティストのなんて曲か教えてくれるっていう優れもの。
さらにspotifyやらApple musicと連携させると自動でプレイリストも作ってくれるという。
道端で聞いた曲とか、ちょっとしたBGMに使われてる曲を調べるのに最適でよく使ってます。
で、最近気づいたのが「手掛かりゼロ」の音楽を見つけられるのが凄いなっていう。
邦楽や英米の洋楽はなんとなく手掛かりあるじゃないですか。
ジャンルはロックで、こんな歌詞で、とか。
でもこれが英語圏以外になると途端に見つけるの大変になる。
なんて言ってるかわかんねえっていう。
そんな時にコイツに聴かせると一発で見つけてくれるんでありがたいなあっていう話です。
そんで、こないだ中華料理屋で友達と飲んでたらいい感じの中国とか台湾のポップスが色々とかかってたんでShazamでチェックしまして、せっかくなんでここで紹介しときます。
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黄小楨(Ze' Hwang)
台湾のシンガーソングライターらしいってことは分かるんだけれど、確認できたアルバムは一枚だけなんで今どうしてるかは分からない。
俺が聞いた曲はそのアルバムには含まれてなかったし、活動圏がまた違うのだろうか。
Youtubeにもほとんど曲は上がっておらず、オフィシャルで確認できたのは上に貼った曲のみ。
凄く心地いい歌を歌うシンガーソングライターだなあと思ったとこだったんで、上手いこと掘れなくて少々残念。
S.H.E
これは昔っから薄っすら存在は知っていた。
台湾のガールズボーカルユニット。2001年から活動してるってことなんで、もう大ベテランになる。
日本に入ってくる台湾ドラマの主題歌をやってたりすることも多いからよく目にしてたんだろう。
歌も歌うし司会もするし役者もやるっていう、台湾の女性版SMAPみたいなもんだろうか。
長い経歴の中で大きく音楽性が様変わりしている、という感じではないが逆に言えば安定感があるというか、安心して聞けるポップスという信頼感も人気の秘訣なのかも
余談だが、上に貼った曲(2011年リリース)の上位コメントに「2018年にこの曲聞いてる人おる?」みたいなのがあって、どこの国も一緒だななんて思ったり。
Andy Lau
これはある意味一番驚いたっていうか、「この軽快なポップスは誰の曲だ?」なんてチェックしたらアンディ・ラウやんけ!しかも新曲やんけ!っていう。
いやジャッキーチェンが歌手活動してんのぐらいは知ってたけど、アンディ・ラウもやってたんだっていうね。
しかもリリース量すげえな、30枚以上アルバム出してるじゃんか。
渋い俳優って感じでしか認識してなかったのでびっくりしました。
Li Rong Hao
25歳でデビューした遅咲きのシンガーのようだ。
再生数が凄まじかったのでよく調べてみると、2015年辺りから中国の音楽賞を総なめにする勢いで評価されていたらしい。
実際聞いてみると歌も上手いし、アルバムの中だと割と楽曲の幅もあったりする。
ただ、他のポップスと比べて突出して人気がある理由ってのはもうちょっと踏み込まないと分からんぽいかな。
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聞いてて思ったけど、やっぱ王道ポップスみたいなのってどこの国も同じなんだなって。
悪い意味とかでは無く、誰が聞いたって楽しめる、大衆のための曲っていう。
そういうの「つまらん」とかで一蹴されがちだけど。
日本の音楽全体を指してよく「ガラパゴスがー」とか「先進性がー」みたいなツッコミ入れるのよく見かけるし、俺もそう思うタイミングが無いわけじゃない。
それに対して韓国のK-POPだったりアジアから優秀なシンガーやラッパーをフックアップしてる88 risingが引き合いに出されるわけなんだけど、一方でどの国にも「その国でしか聞かれてない」ポップスってあるんだよな。
アメリカで言えばガチのカントリーみたいな。
語りやすさで言えば新しかったり尖ったりしてる方が比較したりして語りやすいってのもあり、海外の音楽ってどうしてもそういう情報ばっかり入ってくる。
ネットの再生数とかがセールス基準になってくるとそれはより顕著で、こういった「ちょっと古臭い大衆曲」の持つ安定した巨大なセールス層ってのはネットのバズで上塗りされてしまう。
でもそうやって抽出されたもんだけを見て「中国の音楽はラップが流行ってて最先端で」とか言い切っちゃうのも乱暴なんじゃねえかなっていう。
特に老いも若きも多い中国とかなんだから尚更。
フィンランドはメタルバンド多いけど別にメタルしか無いわけじゃないし、売れてるのは普通のポップスだしみたいな。
分かりやすい「進んでる/遅れてる」みたいな軸のために全体をボヤかしちゃあいかんと思うんだよな。
日本の音楽見たり語ったりするのも同様で。
受け取る側も同様で、都合よく一面だけを受け取って全部を見たみたいに思っちゃあいかんよなという至極当たり前の結論にはなるんだろうけど。
確実にあるものをまるで最初から無かったみたいにして語るのは、評論とかとはまたまた何か違うゲームになってるよな、とふとインフルエンザで寝込みながら考えてました。