プロレスってやつがどうにも好きだ。
その魅力についてこんこんと語ることも出来るかもしれないが、今回はいかにして俺がプロレスにハマっていったかを振り返って記しておく。ホントにただの日記。
思い返せば、初めてプロレスに触れたのはゲームだったように思う。
このゲームを友人とアホみたいに繰り返しやっていた記憶がある。確かアントニオ猪木が引退する時期に作られたやつだ。
投げ、打撃、関節の3すくみで攻防を行う、格闘ゲームの要素が強いゲームだ。キャラクターエディットも出来る。
登場するのは新日本プロレスの選手だけだが、ファイプロと違いこちらは全実名。OPなどでは実写ムービーも見ることが出来た。
このゲームで、プロレス技の名前やプロレスラーの名前を学びだした。
そして実際のプロレスを初めてテレビで見たのは、確か新日本プロレスの東京ドーム大会。永田・秋山タッグ VS 武藤・馳タッグの試合だったと思う。
永田のブレイクのきっかけになった試合の一つだ。エクスプロイダーという技の名前がカッコよかった、という記憶がある。
ここから先はもうどっぷりプロレスにハマっていく。
ケーブルテレビで全日本やドラゴンゲートの試合を見て、地上波でノアや新日本を見る。2000年代はK-1やPRIDEなどの格闘技が全盛だったが、それとは別物として楽しんでいた。
ただ、振り返ればこの時期の日本のプロレスは大混乱を極めた時期でもあった。
新日本を支えた闘魂三銃士、武藤は全日本に移籍しのちに社長となる。橋本も自らの団体ZERO-1を立ち上げる。トップレスラー永田は総合に参戦し、ヒョードルに瞬殺されてしまう。
それ以外にも、K-1マッチでアレクセイ・イグナショフの相手が何故かスティーブ・ウィリアムズだったりとあちこちで迷走していたように思える。
新日本はその後棚橋をトップに据えたエンタメ路線に移行し人気を取り戻す。全日は武藤が中心となりバリエーション豊かな団体になるも選手の不祥事で武藤が退陣し、人気レスラーも徐々に移籍していく。ノアは徐々に動員が下がり、あの悲しい事故が起こる。
その他インディー団体は相変わらず、といったところだろうか。
プロレスは、試合の面白さがもちろん大事だ。それが第一義である。
しかし、それを取り巻く諸事情、選手同士の遺恨や団体抗争など、リアルなのか現実なのか分からない事象までも取り込んでしまうエンターテイメントだ。
意図的な抗争を煽ることをネットでは「プロレス」と呼ぶことがある。しかし、「プロレス」であるために大事なのは単に演出された抗争ではなく、観客を魅了する試合だ。
そう、プロレスは観客のためにある。魅せてなんぼなのだ。そして、それに魅せられる観客もまた、プロレスの一部なんだ。
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似た使われ方をする言葉に「ディスる」がある。ヒップホップ用語で、相手を批判したり貶したりするような行為のことを差す。もしくは「beef」か。
これらもそうだ。ヒップホップで単に貶しても、そのラップがダサかったら、曲がダサかったら意味が無いんだ。上手いラップで、良い曲で「ディスる」から意味があるんじゃないだろうか。
これは完全に余談。
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正直、新日本以外の団体が徐々に体力を失って生きているのは間違いないだろう。レスラーに憧れる若者はいる。期待のレスラーも出てくる。
でも、それだけじゃ足りないんだろう。個々の団体が個々の客だけを相手にして細々と続いていく。それが現代のプロレスなんだろうか。
ロックについて書いた記事でも言及したが、結局人を引き付けるのは「境界を越える人」なんだろう。そういう意味で、モハメド・アリをプロレスのリングに引っ張り上げた猪木は紛れもない超越者だ。
かつてUWFと新日本の対抗戦が行われたとき、会場では両団体のファン同士が殴り合いの喧嘩になったらしい。それだけ、入れ込んでいたし信じていたんだろう。
またそうなれ、とは思わないが、単に蚊帳の外から嫌味をぶつけ合うよりははるかに健全だと思う。
ファンもそうだが、垣根を越える、壊す。プロレスにはまたそういう夢を見せてほしい。
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結局話があっちこっちに散らかっている。反省。