Netflix発、今や世界で最も注目されているドラマの一つであるストレンジャーシングス。
そのシーズン4が日本時間の7月1日、満を持して公開された
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— Stranger Things (@Stranger_Things) 2022年7月1日
自分はどちらかというと後追い勢。
シーズン1の評判を聞き、シーズン2辺りから一気に見てドはまりした。
その80年代ディテールや選曲、キャラクターの魅力ってのは方々で散々語られているのでここでは余り触れない。
やはり我田引水、自分の得意分野でこのコンテンツについて触れていきたいと思う。
というわけでこのタイトルです。
以下、ネタバレはしていくのでまだ見ていないという方はご注意を。
エディ・マンソンという男
このシーズン4からの新キャラにして重要キャラの一人、エディ・マンソン。
新しい学校に進んだマイクとダスティンにとって、初めて自分達の趣味を理解してくれた頼れる兄貴分のような存在。
ヘヴィメタルを愛聴し、スクールカーストの頂点であるバスケ部の面々にも臆さず挑発を繰り返し、友人たちと夜通しTRPGを嗜み、裏ではドラッグを売りさばく危ない一面もある男。
彼がチアガールであるクリッシ―と交流を持ち、そのクリッシーが事件に巻き込まれたことで事態は大きく動き出す。
殺人事件の犯人と誤認され、警察やクリッシーの彼氏であるバスケ部キャプテンに付け狙われつつ、裏側の世界の存在を知り、マイクたちに協力していく。
これがシーズン4における彼の概要だ。
全体で言えばストレンジャーシングスは、ホッパーやジョイスなどの大人、ナンシーとジョナサンとスティーブのような年長組、そしてマイクたちの年少組という構成でそれぞれが自身の悩みと向き合いながら事件解決へ挑む形になっている。
エディはそんな中で年長組なわけだが、ここで年長組のキャラクターを振り返っておきたい。
知識と行動力で事件解決への糸口を見つけ、ここ一番で凄まじい度胸を見せるナンシー、
イケイケの嫌な奴からダスティンの友人となり、恋のアドバイスまでするようになる面倒見のいいスティーブ、
弟のため、そして愛するナンシーのために献身的な行動を見せるジョナサン、
スティーブと共に恋に悩みつつ、ムードメーカーとして明るい雰囲気をもたらすロビン
そんな彼らと比べてエディはどうだろうか。
普段はかなり周囲に対して挑発的で、仲間にも少し高圧的な面がある。
事件以降は警察や裏側の存在におびえ、怯えながら隠れている姿が印象的だ。
一方で、悪夢に悩むクリッシーがドラッグを求めてきた際の会話から垣間見える優しさ、他人思いな面が印象的だ。
エディが行方不明になった後、彼と暮らしていた父親のコメントからもエディの人柄が伺える。
ただ、事件に対してはまだ知らないことも多く、ひたすら振り回されている姿が目立つ。
これは最初の頃のジョナサンやスティーブに近い。
ここまでがシーズン4 Vol.1までのエディである。
そしてVol.2、彼が彼たる所以がここで描かれる。
メタルマスター
事件の黒幕の存在が分かり、彼を倒すために一行は裏側の世界へ再突入し、立ち向かうことになる。
現実世界で彼をおびき出すチーム、裏側でおとりとなって見張りを引き付けるチーム、実際に黒幕へ攻撃を加えるチームの3つに分かれることになり、エディはダスティンと共におとりチームに配属される。
裏側の世界を徘徊する凶悪なコウモリのような怪物、それらを引き付けるため、エディは得意なギターを大音量でかき鳴らす。
曲はメタリカのMaster of Puppets(邦題:メタルマスター)。
シーズン4の舞台は1986年、1985年リリースのこの曲はまさに最先端のメタルヒッツなわけだ。
操り人形の支配者に翻弄される姿を歌った歌詞は、麻薬とその中毒者の比喩であるというのは有名な話だが、ストレンジャーシングスの物語においては「裏側の世界から恐怖で支配する黒幕」と「その被害者」という構図に置き換えることも出来る。
実際、この曲が流れるシーンは黒幕から逃げ惑うが逃げられないマックス、という形になっている。
そしてこの後おとりとしての役目を終えるも、エディは裏側の世界に残り仲間のためにさらに時間を稼ぐことにする。
そして、ゴミ箱の盾と粗末な槍で怪物たちに立ち向かい、その命を散らす。
駆けつけたダスティンに、「お前は変わるなよ」と言い残して。
ヘヴィメタルとは何か
俺はこのエディ・マンソンというキャラクターの描かれ方に、「ヘヴィメタル」という音楽の本質が現れているように思えて仕方がなかった
それは何か?
どんな時でもカッコイイことか?
どこかダサい一面があることか?
悪魔に立ち向かう力強さか?
誤解を恐れずに言えば、メタルとは「虚勢」であると思う。
エディは周囲の人物を威嚇し、挑発し、周りから浮いているように見える。
しかしその実、クリッシーのことやマイク、ダスティンら仲間を思う心優しさがある。
そして警察やバスケ部から逃げ惑う際に垣間見える臆病さ、弱さがある。
そんな自身の優しさ、弱さを隠すために彼は長髪メタルファッションに身を包み、露悪的な振る舞いをしながら、爆音でヘヴィメタルを聞く。
「ヘヴィ・メタルはまだガンには効かないが、そのうち効くようになる」
ドキュメンタリー映画「Heavy Metal In The Country」のワンシーンでの発言。
ネタミームとして今でも画像引用されることが多いこのセリフも、そこに繋がる。
誰もヘヴィメタルがマジでガンを治すなんて思っちゃいない。
でも、ヘヴィメタルがあったらガンに立ち向かえる…かもしれない。
そういうことだ。
「メタルを聞くと救われる。人生が嫌になって孤独で空しい気分の時、苦しみや怒りを誰かと分かち合えるからなんだ」
こちらは映画「デビルズメタル」からの引用。
こちらも同じ。
人生の辛さ、苦しさへの向き合い方を少し歪んだ形で見せてくれるのがメタルなのだ。
バカバカしいほどに大仰な歌詞、世界観。
音質とか知らねーよってほどの爆音、轟音。
アホみたいな速弾きや高速ドラム、難解な曲展開。
分かりやすいぐらいのマッチョイズム、時に露悪が行き過ぎて時に一線を越えてしまう危うさ。
これらは全て辛さ、苦しさ、悲しさ、弱さの裏返し。
そうやって立ち向かう術を、虚勢を張り続けることをヘヴィメタルは、メタラーは選んだ。
ある種逃避であったメタル、しかしエディは裏側の世界でクリッシーのために、仲間のためにメタルを奏でる。
だからあのギターは人を感動させる。
そしてエディは最後の最後、自分の身を犠牲にしてまで怪物たちに立ち向かった。
なぜか?彼はヘヴィメタルだからだ。
自己犠牲精神というものに対する批判もあるだろう。
ただ恐らく(こっからは妄想です)、
エディ自身も自分を犠牲にしてまでおとりを続けることに意味があるのか、本当にそれで物事が良い方向に向かうのか、確信はなかっただろう。
それでも、「英雄はいらない」と自分で言っておきながら、自身に大した力が無いと分かっていながら、強気に立ち向かう姿を見せずにはいられなかった。
それが彼の生き方であり、ヘヴィメタルだからだ。
事件の後、そんなエディの本当の姿を知る人は街にはおらず。
事件の犯人であると誤認されたまま、凶悪な男として街の人々の記憶には残る。
ダスティンをはじめとする仲間たち、そして父親を除いては。
それがヘヴィメタル。
五月蠅い、邪悪、露悪、そう言われて蔑まれることをあえて自分から選ぶ。
自分から自虐的にメタルを「ダサい」って貶すやつもいる。
メタルを聞いて英雄になれるなんて思って無いし、音楽好きの中で何か褒められたり一目置かれることも無い。
ラップやポップスのように現代社会の代弁者として評価されることも中々無い。
でも、それでも、メタルは今後も愛され聞かれ続けていくと思う。
弱さを抱えた人々にとっての精一杯の強がり、虚勢として。
それを笑う人もいると思う。
蔑む人もいると思う。
正しいやり方だとは思わないし、時に明らかな過ちを犯すこともある。
でも、「それがなんだ!」と最後まで戦い続けることは辞めないで欲しい。
そんなヘヴィメタルが俺は大好きです。