吐き捨て系日記

もう30になっちゃう男が考えを整理するためにブツクサ綴る、ほんとにただの日記です。

俺はなぜ横浜ベイスターズが好きなのか

先ごろ、横浜DeNAベイスターズクライマックスシリーズ出場を決めた。球団としては初の出場になる。

そう、ベイスターズは弱かった。それもクライマックスシリーズが始まった2000年代末に限った話ではない。

 

 

4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史 (双葉文庫)

4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史 (双葉文庫)

 

 球団のルーツは1950年代に誕生した大洋ホエールズ。その後親会社や球団名を変えつつ現在に至るが、通算4522敗は12球団最多だ。60余年の歴史を通しても、弱い球団なのだ。

優勝は二回。日本一も二回。強い時は強いのだが、それが長続きしない。

 

最初の優勝は1960年。前年まで6年連続最下位からの優勝だった。が、翌年すぐに最下位。その後は不安定な成績でズルズルと過ぎ、次に優勝するのは1998年。大魔神佐々木とマシンガン打線を擁して日本一に輝く。

その後、Aクラス付近を行き来するが2000年代に入り泥沼の最下位地獄に入る。

 

そう、弱い時期の方がはるかに長い。大洋ホエールズと聞いてオジサン達が思い浮かべる、スーパーカートリオだのポンセパチョレックなどの助っ人外国人がいた時も、弱いチームだったのだ。

 

なんでそんな弱いチームのファンなのか。そもそも横浜には縁もゆかりもないのだが。

 

まず一因は「父親による教育」だ。

俺の父は熱狂的な横浜ファン。40年来のファンらしい。そんな親父に小さいころから言われ続けた。

ジャイアンツは悪い球団だ!

読売新聞とかスポーツ報知は絶対に買わないし、朝のニュースで宮本和知がニコニコしながらジャイアンツ情報を伝えていると即チャンネルを変えていた。所謂典型的なアンチ巨人

そして、物心つく前の俺の写真を見ると、全てで「W」のロゴが入った帽子を被っている。

 

…洗脳じゃねーか?と思えるほどの頑張りよう。俺を野球部に入れたかったらしいが、運動神経は無く断念。しかし自宅での教育により、俺は右投げ左打ちになった。まあ意味はそれほど無いのだが。

 

更にタイミングよく98年、俺が小学生の頃にベイスターズは優勝。親父はめったに買ってくれないゲームを買ってくれた。「パワプロ98」。

 

 そら、横浜強いし好きになるわ。

 

…まあそんなこんなで俺は横浜を好きになり今に至る。これだけだと父親の影響だけみたいに思われるので、俺が思うベイスターズの魅力を下に述べておく。

 

 

基本的に打高のチームである

昭和時代はリアルタイムで見ていないのでアレだが、例えばスーパーカートリオも打撃成績は優秀だ。それにポンセパチョレックなど外国人助っ人も毎年優秀な選手を連れてきている。

平成時代も、マシンガン打線に代表されるように3割近くを記録できるバッターが多かった。最下位が続いていた時期にも村田や吉村、内川や多村など高打率に本塁打も期待できるバッターが育っていた。全員よそに移っているけれども…。

 

馬鹿試合が起きやすい

そんな打高のチームで弱い、ということはピッチャー陣に問題がある。強い時、というのは優秀なピッチャーが揃ったときだが、それ以外はどうしているか。

 

打たれた分打って勝つ

 

こうするしかない。2015年の巨人戦で、最大8点差を逆転サヨナラした試合があったが、ああいう試合が結構多い。そういうアバウトさも魅力的に感じるのだ。

 

選手獲得ルートがわかりやすい

現在の選手陣を見ても分かるように、横浜高校出身者が以上に多い。

示し合わせたかのように、横浜高校で固めている。

 

最近はチームが明るい

森監督時代や第二次大矢監督時代は滅茶苦茶暗いチームだったが、親会社がDeNAになり、中畑監督になって以降チームの雰囲気が劇的に変わった。良くも悪くも目立つ監督だったが、この変化は非常にプラスだったと思う。若い選手が躍動し、盛り上がる空気が出来ている。

その立役者の一人として、2013年にプレーしたナイジャー・モーガンを忘れてはいけない。決して大活躍した選手ではないが、メジャーリーガーを鼻にかけず、率先してファンサービスを行いチームを鼓舞した。彼の功績も間違いなく今に生きている。

 

 

こんなところか。ともあれ、長いトンネルを抜け、ようやく光明が見えてきた。もちろん不安が無いわけではない。

・中継ぎ、抑えがまだ若く不安定さが残る。

・内野守備

・得点能力の偏り

これらは今後の課題だろう。しかし、以前に比べれば見違えるほどたくましく、強いチームになったしファンも増えた。クライマックスシリーズは初体験だからこそ、厳しい戦いになるだろう。しかし、この経験がのちに生きることを期待してこれからも応援に励みたい。