PSで発売されたファイナルファンタジー(7,8,9)を今更まとめてクリアした話
ファイナルファンタジーといえば、国産RPGの代名詞だ。今年になって、ようやく15が発売されるらしい。俺が高校生の頃から作ってたような気がするが。
それはそうと、俺はこのFFというシリーズをほとんどやってきてなかった。昔からゲーム大好きだった俺に「こんなもん買い与えたら勉強しなくなる!」と親が中々買い与えてくれなかったのもあったし、自由に買えるようになった時には違うジャンルにハマっていた。
でもやっぱりあこがれはあこがれなので、ここにきてPS時代の3つを買って一気にクリアした。
そこで感じた事をまとめておく。
ファイナルファンタジー7(1997年)
アルティメット ヒッツ ファイナルファンタジーVII インターナショナル
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2006/07/20
- メディア: Video Game
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恐らくFFの中でも屈指の人気と知名度を誇る作品。スピンオフが死ぬほど出ているが、昨年のE3でリメイクが発表された。
システム
装備は武器と防具、アクセサリが一つずつ。頭とか胴体とかの区別はない。
一番重要なのはマテリアシステムだ。魔法やコマンド、自動効果など様々なマテリアを装備に装着し活用する。そして、それらを機能させ合うことで様々な活用法が生まれる。
たとえばカウンターとついかぎりのマテリアを結合させると、カウンターのあとにもう一回攻撃が入る。強力な魔法にMP吸収を付けるとMPをほぼ消費せず強力な魔法が打ちまくれる。
マテリアは非常に魅力的なシステムなのだが、逆に言うとそれが強すぎる。
マテリアは使い込むとレベルアップし、マックスになると増殖する。そのため、時間をかければ強力なマテリアを全員分用意することが可能だ。
キャラクターは武器やリミット技こそ違うものの、そこまで能力に差が無い。多少鍛えれば全員9999ダメージを出せる。そこにマテリアが加わると、戦力的な差はほぼ無いと言ってもいい。
7は敵もそこまで強くない。ラスボスは特に顕著だ。そのため戦闘に関して爽快感はあるものの、やり応えというのは案外薄いかもしれない。
ストーリー
一貫してクラウドとセフィロスの物語だ。セフィロスは序盤から登場し、最後まで出てくる。これは評価すべき点でもある。「実は○○が黒幕でした」みたいなのが突然明かされると、やっぱりラスボスに対する印象は薄くなる。そういう意味では、最初からセフィロスに絞ってるのはいいことでもある。
キャラの性格等について、やはりみんな若いというか、幼さがある。その若さを乗り越える話ではあるのだが、思い通りにいかなくて喚いたりすぐ拗ねたりとかはちょっと鼻につくところもある。まあそういうところ含めて愛すべきキャラではあるのだが。
世界観設定は込み入っているが、それを知るのが大体人づてなのでちょっとわかりにくい。思わせぶりなセリフも多いし、そもそもセフィロスも勘違いしてるし。でもやっぱりミッドガルは魅力的な街だ。
総評
PSの性能を活かしてファイナルファンタジーの可能性を広げた作品。そう評価されるのもわかる完成度だ。しかし、これで以降のシリーズに対するハードルが死ぬほど上がったのも事実。どちらにしても歴史に残る作品だ。
ファイナルファンタジー8(1999年)
前作を越えるボリュームと美麗なムービーが話題になった作品。一方で独特なシステムとシナリオは賛否が分かれる。
システム
装備は武器のみ。というか、それ以上に大事な「ジャンクション」システム。これがこのゲームの全てと言ってもいい。
ジャンクションとは「召喚獣=GF」をキャラクターに装備する。そして、各ステータスに魔法をセットするシステムだ。さらに魔法は各地にあるドローポイントやモンスターから「ドロー」して集めたり、アイテムなどから「精製」して作り出す。
MPは無く、全て個数で管理される。
このシステムが中々わかりにくいと言われている。そこに加えて、「キャラのレベルがあがるとモンスターのレベルも上がる」システムがある。普通に戦って上がるステータスはたかが知れているので、このジャンクションを活用しないととてもクリアできない。
逆に、これをフル活用するとレベルが一ケタでもクリアできてしまうという極端なシステムだ。そのため、最初から最後まで魔法をいかに集めるか、ということに神経を使う羽目になる。
敵をカード変化や食べることで経験値を入らないようにし、カードバトルでカードを集めてアイテムに変換し、ドローポイントを走り回る。
こうすることで、序盤でも能力値をマックス近くまで上げることが出来る。
FFは基本的にシステムが強いゲームだが、8はその極みだ。強すぎて、それに支配されていると言ってもいい。それを楽しむか、楽しめないかが賛否ということだろう。
ダメージのインフレも顕著になった。ボスのHPは数十万になり、各キャラの必殺技は9999がいくつも飛び出す。
ストーリー
7に続いて近未来SF的な世界観。ただ、若さというか幼さは前作以上。
特に女性陣、リノアをどう感じるかが好みがわかれるポイントだ。人にとっては単なるわがままトラブルメーカーで、どこをどうしたらスコールがあそこまで惚れるのかわからないだろう。
スコールという、精神的引きこもりに対し、全てがオープンなリノア、と見るとスコールがリノアに対し憧れに近い気持ちで惹かれていくのも分かる。ただやっぱり急な感じに思えるし、出会いからずっとリノアがスコールにゾッコンなのもなんとも言えない。そもそもサイファーにも惹かれるような、惚れっぽい女性だし。(おハロー、とかはぐはぐ、とかの言動もちょっと引っかかるポイント)
ストーリーは魔女を通して、過去から未来がつながる話。人が人にジャンクションする、とかシステムを絡めた設定でもあるのだが、やっぱりアルティミシアが突然出てきた感じはあるし、なんでそこまで魔女に振り回されてんのかもわかりにくい。
一番引っかかったのはGFをジャンクションすることで記憶が失われていくことが発覚し、それによって忘れていた「パーティーメンバーが孤児院の仲間だった」ことを思い出したシーン。アーヴァインが急に発表して、「まあいいか」みたいな感じでその後言及されない。
あまり重くするとそのあとやりにくいのは分かるが、それでももうちょっと悲壮感とかあってもよかったんじゃないか。記憶を失いつつ強くなる、というと「テッカマンブレード」というアニメを思い出すが、まああれはちょっと悲惨すぎる。
総評
「今後のFFはこっち!」と大きく舵を切った作品。賛否はあるが、新しい、挑戦的な意欲にあふれている。しかし逆に、時代性の強さも感じるので普遍性は失われているかもしれない。
ファイナルファンタジー9(2000年)
PS最後のFF。前作とは打って変わって原点回帰した剣と魔法の物語。キャラクターの頭身も低くなり、古き良きRPGというものを目指した感じがある。
システム
装備は頭からアクセサリまで合わせて4つ。それに加えて武器。そして、各装備には固有のアビリティがあり、戦闘を重ねてポイントを貯めることで習得できる。それを制限範囲内で自由に付け替えるというシステムを取っている。
またキャラクターはそれぞれ特殊なコマンドがあり、個性に合わせた育成が必要だ。前述のアビリティシステムと合わせて、前作までで顕著だった「システムが強すぎてキャラの個性が消える」問題を解消したと言える。
主人公が盗賊ということで、敵から盗めるアイテムが非常に強いのが少し気になるが、そこはまあ好みの問題だろう。
ミニゲームもたくさんあるが、カエル集めなどキャラ育成に必須なものほどめんどくさくて時間がかかるのもちょいと気になる。
トータル、巧くまとまっているとは思う。
ストーリー
前作までは変わり、個々人が大人になったというか。みなそれぞれしっかり自立している印象がある。ヒロインのガーネット(ダガー)は特にその傾向が強く、前作のトラブルメーカーで場をかき回す存在から、凛として時にはみんなを引っ張る力強い女性になった。
出自に悩むビビや騎士としての使命に揺れるスタイナーなど各キャラの掘り下げも上手い。
ただ一方で、みんなしっかりし過ぎて逆に印象が弱いということも言えるかもしれない。前作までの、良くも悪くもアクの強いヒロインと主人公に対すると、どうしても没入度が低い感じはある。それは万人に愛されるキャラ設計だからこそではあるのだが。
クリスタルの話やラスボスはやっぱり唐突。クジャでよかったじゃん、と思うのは俺だけだろうか。
総評
非常にまとまりが良く、ゲームとしてのやりがいもある作品。PSの最終作として高い完成度を誇る。一方で、あまりにまとまりすぎて印象が薄いという、シリーズ作品ならではの弱点も抱えている。
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バーッと好きなことを書いたけれども、やっぱりFFがこれだけ人気があって愛されるのもよくわかる。
15も、散々待たされた分注目度も段違いで批判もかなり多いだろうが、FFにはやっぱりみんな期待しているということの裏返しでもあるんだよな。
富士そばの話
職場の近くにあるってのも理由の一つだが、昼を富士そばで食うことが増えた。ご存知の通り、富士そばは有名チェーン店だ。しかし、味には店舗ごとに特徴がある。
付け合わせの天ぷら一つ取っても千差万別だ。
さらに言えば、テーブルに置いてある七味も恐らく差がある。
ジャパニーズファストフードの代表たる蕎麦屋だが、こいつには味の拡張性がある。
ファストフードで、簡素化されているからこそ、食う側にも技量が求められる。いかに美味く食うか。そういう取り組みの歴史の上に我々は立っている。
そもそも誰だ、最初に蕎麦にコロッケ入れようとか言い出した不届きものは。美味いじゃないか。
コロッケは汁を染み込ませて食うと美味い。しかし問題なのは、染み込ませてほぐれたコロッケが分散してしまうことだ。こうなると、汁を流し込むしかなくなる。蕎麦の汁の味は濃い。支配的と言ってもいい。そんなもんを流し込めば、口内に残るのはそばつゆの味のみ。それは厳しい。だから、いかにして染み込ませつつ崩さず食うか、ここに全神経を集中する。ソース?知らんな。
七味。万能の調味料だ。
冷たいそばにはわさび。温かいそばには七味だ。だがここにもトラップがある。
まず容器。長野県民ならおなじみの八幡屋磯五郎の容器。あれはよくできている。振って出る量がちょうどいい。そこを基準に、やたら出ちゃうやつ、出にくい奴がある。
俺の行く店舗の容器はガバガバだ。傾けたら全部出るだろう。そうなったらもう、そば食ってんのか七味食ってんのかわからなくなる。容器を見極め、いかに適量を注ぐか。覆水盆に返らず、七味も容器に帰らない。
何か具が乗った蕎麦の場合、ここも七味が難しいポイントだ。そのままかけたら、七味を受け止めるのは具になる。蕎麦に七味は合うが、具に必ずしも七味が合うとは限らない。天ぷらを七味で食えるか?
じゃあ、具を避けてかけるか。そうすると、どうしても偏りが出来る。さらに、具に注視している間に沈殿してしまう。
大事なのは、かけてから食うまでのタイムラグをいかになくすか。そして具といかにぶつけないようにするかということだ。
こうなってくると小手先のテクじゃ無理だ。確固撃破、それしかない。
具を食う、七味、蕎麦、具、七味、蕎麦…
このループ。落ち着かない。
だが待て。落ち着くために富士そばに来ているのか俺は?違うだろう。落ち着きたいなら喫茶店でタバコでもふかしてればいい。ファストフード店は何時間も粘るとこじゃないというのが俺の持論だ。
勝負だ勝負。安くて速いやつをいかに楽しむか。ただ掻き込めばいいってもんじゃない。質が求められる。
冷たい蕎麦とか、カップ麺との勝負に関してはまた後日。
「老いる」と「弱る」は違うんじゃないか、という話
例えばだが、ツイッターでやたら元気で艦これの話題を楽しそうに呟く小池一夫とか、60越えても不良の兄ちゃんみたいなしゃべり方でガンガンギター弾くcharとか、最新のヒット作に嫉妬しまくりの富野監督とか。
彼らは「老いて」はいる。が、とても力強い。
若者おじさん、なんて言葉があるらしい。簡単に言うと「大人になれなかったおじさん」ってことだ。そう書くと、なんか素敵なもののように一瞬は思うんだけれど、実は凄く怖い。
若いというより「幼い」といえばいいのか。
俺は感性が狭くなっていくことを「老いる」ことだと思っていたが、多分違う。それは「弱っている」ということ。そして、「老いる」と「弱る」は必ずしもイコールではない。
かつては「大人になる」というのは共同体の規範どおりに振る舞うという形でよかったのだが、そうじゃなく、個々人がそれぞれに「ちゃんと自分になること」が求められるようになったため、しんどいことになっている。「成熟」のロールモデルがなくなって、目標を自分で見つけなければいけなくなった。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2016年9月13日
「老いる」ことは成熟すること。植物なら勝手に熟れるが、人間はそうもいかない。自分で養分を蓄えて、それを熟成させて形になることが必要になる。で、その過程が上手く機能しなくなっている気配があると。
この若者おじさんってのはいくつか種類があると思う。
まず、そもそも養分を蓄えること、経験を積んだり知識を得たりということを全く経なかったタイプ
そしてもう一つは、経験も知識もあるがそれを熟成させない、アウトプットしたり自分の中で考えを醸成させずただため込むタイプ。
もっと種類はあるだろうが、結局のところ大本の部分が若いというか幼いままなので、「大人」としての行動が求められる部分でギクシャクする。突然ブチ切れたり、拗ねて頑固になったり。思い通りにならないと喚くようになる。
若者の感覚のまま、年齢によって規定された「老い」とのギャップに苦しむんだろうけど、それで他人に迫るから「老害」になる。
うーん…俺もそうなりかけてたというか、半分なってたのかな。
若さというのは瑞々しくて新鮮さに溢れているが、裏を返すと非常に弱く脆い。それを乗り越えて、「大人」になるんだろう。
そう出来なかった人、若さゆえの弱さをそもそも認めなかった、あるいは何かでごまかしてきた人が若者おじさんになるんじゃないかな。
正直、俺もそういうところがあったのでこういう記事を書いてるわけだけれども。年齢的にはギリギリ…かなあ。
その一方で、例えば考えることとか、あるいは感性であるとか、そういったものが「弱って」いくことを「老い」にすり替えてしまうことがあってはいけないと思う。
「俺はもうおじさんだから」ってな。それは「老い」ではなく「衰弱」だ。
多分、どっかで間違えれば「若い」まま「衰弱」していく。成熟たる「大人」が不在になって幼いまま人生を回さなきゃいけなくなる。
だから「強く」なきゃいけないし、ちゃんと「老い」なきゃいけないなと思う。
まあもちろん、一般の人より特殊な経験を積んできた芸能人を目指してもしょうがないんだけれど、それでもやっぱ元気な老人とか、感覚がずっと鋭い人とかいるもんだ。
俺の爺様はもう90になるが、 実家に帰るたびに「新しいパソコンを買ったから教えろ」だの「新しい車が欲しいなあ」とか言い出す。すげえ好奇心と行動力だなーといつも思う。
最終的にはやっぱり自省になるんだけれども。まだ「大人」は世の中にいっぱいいるし、「強い」人もいっぱいいる。そういう人をちゃんと見てかなきゃいけないな。
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ロックとアイドル
アイドル戦国時代という呼び方もすでに古くなりつつある昨今。音楽番組やバラエティ番組メディアを見れば新しいアイドルグループが次から次に現れる。
地方に目を向ければロコドル(ローカルアイドル)が全国各地に、ゆるキャラ以上の勢いで増殖している。
そんな中気になったこのつぶやき
アイドル・カルチャーはロック・カルチャーを受け入れるのに、その逆がないというのはロックが面白くない要因のひとつだと思います
— 加茂啓太郎 Keitaro Kamo (@keitarokamo) 2016年9月9日
この加茂さん、ウルフルズや氣志團、ナンバーガールなど日本を代表するロックバンドのプロデューサーとして知られている。そんな人のつぶやき。
「ロックが面白くない」
こう聞いて、どう感じるか。
正直、思い当たる節はある。
もちろん、新しいバンドはたくさん出てきているし、ベテランでも元気なバンドも多い。だが、「面白さ」という点ではどうか。
そもそも何を持って「面白くない」と感じるのか。
引用したつぶやきでは「アイドル」と比較されていた。今やアイドルは日本の音楽カルチャーの中核を担っていると言っても過言ではない。
それは売り上げだけでなく、音楽性やエンタメ性も含めてだ。幾つか紹介しよう。
カントリー・ガールズ『どーだっていいの』(Country Girls [I Don’t Really Care]) (Promotion Edit)
「せのしすたぁ」5/28リリース「GROWING」PV_FULL
でんぱ組.inc「でんでんぱっしょん」MV【楽しいことがなきゃバカみたいじゃん!?】
どうだろうか。紹介したのは全て「アイドル」でくくられた音楽だ。音楽性もエンタメ性もバラバラだ。だが、単なる「なんちゃって」ではなく本格的な音楽性やエンタメ性を持っている。それは作曲者やプロデューサーを見れば一目瞭然。様々な才能がそこに関わっている。
ロックに目を戻す。述べたように、ロックにも新しいバンドはたくさんいる。音楽性も様々なのは言うまでもない。
だが、「面白い」のはアイドルの方なんだろう。何が違うのか。
俺の想像で理由を書いておく。
1.熱狂
アイドルのライブ映像を一つ紹介する。
かなりの盛り上がりだ。初めて見るとさすがに面食らう。凄まじい熱量がある。観客の声援もすごいが、それに負けないパフォーマンスがある。
一体となったこの「場」には間違いなく「熱狂」がある。
単に「オタクだから」と片付けてしまえないパワーを持っているように感じる。このレベルの盛り上がりが各アイドルにある。そりゃ盛り上がるだろう。
そこには、ファン側の「盛り上げよう」という意識、アイドル側の「盛り上げよう」という意識。その相乗効果がある。
ロックバンドにそれが無いのか?いや、あるだろう。
っていうかオイオイ言うノリとかはまんまロックがやってたことだろ。
そうして広がった熱が更なる熱を呼ぶ。そうやって高まっていくんだろう。
2.自由度
ロック、アイドルとは別の話だが、アニソン界隈でよく聞かれた言説にこんなのがある。「アニソンファンの人は、アニソンならどんなものでも聞いてくれる。」
今やアニソンも日本の音楽では無視できない、重要な存在だ。
大物作曲家やミュージシャンがプロデュースした曲を声優が歌う。そんな光景は珍しくない。そして彼らは言う「何より聞いてもらえることが嬉しい」と。
逆を言えば、そもそも聞いてすらもらえないような状況が別の方向にあるということだ。
例えばこの曲。『神様ドォルズ』というアニメのオープニング曲だ。ものすごく複雑なリズムに畳みかける歌詞。アニソンたるキャッチーさはあるものの、凄く独創的な音楽に感じられる。こういうのが、オープニング曲として採用されるのも凄い環境だと思うけれども。
興味が無いものは最初から聞かない、そういう経験は無いだろうか。当たりまえっちゃあ当たりまえなんだけれど、数多ある音楽に手軽にアクセス出来るようになった時代では、逆に再生ボタンを押させるのが難しいのかもしれない。
そんな中で、アイドルやアニソンは比較的そのハードルが低いのか。
どんなに冒険しても、音楽的に複雑なものだったとしても、まず「聞く」というハードルを超えてくる。それはアイドルたる少女たちの魅力や、アニメ作品の魅力による影響があるだろう。
そうして聞いてもらえる環境では、何をやってもOKだ。ゴリゴリのメタルアイドルがいきなり出てきても、「結構いいじゃん」って聞いてもらえる。ノイズだろうとヒップホップだろうと同じだ。そういう環境は何より「面白い」だろう。
3.本流と亜流
今日本のアイドル界の中心は何か。
何といってもAKBを始めとした大型アイドルグループだろう。言ってみれば、あれが今の「正解」だ。個性豊かなメンバーに圧倒的に大衆受けするポップな楽曲とイベント。かつてモーニング娘。が構築したメソッドをより強固に大型化したものだ。
そんなAKBが圧倒的存在としてあるからこそ、そのカウンターが成り立つ。
例えばももクロ。メンバーは少なく、楽曲は変化に富んでいる。個人の飛び抜けた魅力でガンガン引っ張るスタイル。AKBと対をなすと言ってもいいと思う。
(例外はいくらでもあるけどあくまでイメージとして)
そう、カウンターが存在し得る状況、これが何より「面白い」んだろう。しっかり優等生がいるから不良がカッコいい。圧倒的強者がいるから、そこに立ち向かう構造が生まれる。そして、それぞれが正当性というか、美学をぶつけ合う。「我々のアイドルはこれだ」と。
例えば東京に対する地方、清純に対する不純、癒しに対する不穏。そうした対立構造の中でさらなる盛り上がりが生まれる。
そういえば、「対バン」という言葉もいつしかバンド界隈よりアイドル界隈から聞こえてくることが多くなった。
ロックとアイドル
こうして振り返ると、一つ考えが浮かぶ。今のアイドルの盛り上がり、それはかつてロックが持っていたものだったんじゃないか。
他には無い熱狂、自由度、そして亜流たる存在。ロックとはまさにそういう存在だった。そして、それをいつしかロックは失っていたのか。
熱狂を失ってノスタルジー的消費の対象になり、「ロック」に縛られ自由度を失い、本流を無くし亜流の存在価値もまた失う。
ロックはいつしかロックファンだけが聞くものになる。バンドも、ファンに向けて聞かせ続ける。 広がるかに見えた熱狂も、何か別のものに取って代わられる。
ベストロックアーティストという賞をR&B歌手が受賞するのが当たり前の欧米では、そもそもジャンル分けがほぼ無いと言ってもいい。もっとシンプルに熱狂を享受している。
まあもちろん昔ながらのロックバンドもいて、「こんなもんロックじゃねえ」的な言論もあるんだけどさ。
とはいえ、「面白い」ものが正義ということだ。
いつからか、日本のロックにおいて「面白い」ことが第一義でなくなった。新しい「面白さ」に対して「正当性」を持ち出して否定していた。そう個人的には思える。
「正しいこと」が大事であると。そしてその「正しさ」を振りかざしていろんなもんを潰してきたように思う。最近再評価されてるORANGE RANGEとか。
気づけば、「面白い」音楽の座はアイドルやアニソンに取って代わられてしまった。そう思えてならない。
っていうかそうしてしまったのは他ならぬ俺含めた消費側じゃねえかって気もする。
改めて言うが、俺はロックが大好きだし、新しいバンド達も楽しんで聞いているつもりだ。
でも、ラップバトルブームでファン層を拡大したヒップホップや、DTM文化の発達でより身近になったエレクトロ、そしてもちろんアイドルなどと比べると、やっぱ勢いは現状少し後退しているように感じる。
もちろんがっつり聞けば、作曲の工夫や歌詞の妙など「面白さ」を見ることはできる。でも、そんな重箱の隅をつつくような聞き方をしなきゃわからん「面白さ」って?
SEKAI NO OWARIのボーカルが「まだギターロックやってんの?」とインタビューで発言して炎上していたが、あながち間違いじゃないのかもしれない。
ギターロックバンドは多分無くならない。が、そこに昔と同じ役割を求め押し付け続けようとする限り、ロックはつまらない「死んだ」音楽でしかない。
シワシワになったロックスターの、再現されるだけの熱狂に満足して「ロックはまだ大丈夫」なんて言ってられないんじゃないか。鏡を見れば、自分ももうオヤジになっている。
いつしか「正しい」音楽ばっか求めるようになってなかったか俺は。
前にも書いたが、そうしているうちに「面白い」ものを感じる力が弱くなる。それは老いというより、衰弱だ。
でもまあリスナーとして、それでもいいのかもしれない。
少なくとも、何か義務があるわけじゃない。ここで終わりにしてもいい。
ただ、可能性があるのなら、まだ「面白い」ものに出会う力がちょっとでもあるなら、もうちょっと頑張ってみたいなと思う。
若者ってのはそういう面白さに敏感だったりするんだよな。
逆を言えば、「何が面白いかわからん…」って思ったら音楽に原因があるんじゃなくて自分に原因があるかも、と考えた方がいいかもしれん。
そうして出会ったものが、やっぱりロックだったらちょっぴり幸せだし、全力で応援したい。
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「なんでそんなにいっぱい音楽聞くの?」ってよく聞かれるのでいろいろ書いてみた。要するに「面白いもの」が山ほどあると信じている、信じたいってのがあるんだろうな。
でも、それが必ずしも俺が望む「面白さ」では無いということをキチンと受け入れようということ。
そして、自分自身で「面白いはずだ!」みたいに誤魔化して若者ぶることもないように。
それと好き嫌いはまた別で。
太閤立志伝5がいかに面白いかという話
※なんだかんだアクセスの多い記事なので少し追記修正しました。
このゲーム、発売からすでに11年経っている。
俺が買ったのは2007年ぐらいだったが、そこから今でもプレイし続けている。個人的にだが、一生やれるタイプのゲームだと思う。
改めて、その魅力を整理しておく。
圧倒的キャラ数
このゲームは、開始時に1人主人公を選び、そのキャラクターで戦国の世を生きるというRPGシミュレーションだ。最初に選べる主人公は5人。
・豊臣秀吉…ご存知天下人
・服部半蔵…忍者といえば
・九鬼嘉隆…九鬼水軍当主
・呂宋助左衛門…戦国随一の商人
・柳生宗厳…柳生新陰流創始者
とバラエティ豊かだ。そして、ゲームを進めていくと様々な人物を主人公にすることができるようになる。その数860人。
多い。多すぎる。誰もが知ってる武将から、「こいつ誰だよ?」って武将まで。
武田今川北条が同盟しだす1549年から関ヶ原前後までの間でスタート時期も選ぶことが出来る。
それに加えて、容姿や能力を自由に決めてオリジナル武将も作れる。
ちなみに俺のお気に入り武将は土岐頼次。
近畿地方にいるので、誰でプレイしても割と目にするのだが、こいつほど貧相な武将はこのゲームにいないと思う。
青い着物にしょぼくれた顔。何よりあらゆるステータスが10~20前後(最大で100)でスキルもほぼ無し。仲間にしても使いようがない。ガチで使えない。
KOEIはなんか恨みでもあったのかってぐらい弱い。
だからこそこいつ活かしてやりたいなあと思ったり、ちゃっかり生き残ってたりするとホッとしたり。放っておけないやつなんだな。
自由すぎる生き方
そんな860人の主人公で生きる戦国の世。そこでの生き方は本当に自由だ。
・大名の部下として天下を目指す。
・謀反を起こして権力を奪い取る。
・商人としてひたすら金を稼ぐ
・忍者として裏から日本を支配する
・剣豪として修行に生きる
・茶人として茶器作りに没頭
どうプレイしてもいい。しかも、組み合わせもかなり自由だ。
大名やりながら剣豪になったり、海賊やりながら茶人になったり。兼任もあり。
誰でどうプレイするか、幅が広すぎる。
また、それぞれにエンディングがあるのも嬉しい。剣豪としてのエンディングや医者としてのエンディング。天下とかほっといて自分だけのエンディングを目指すことが出来るのだ。
俺がやったプレイとしては
・あらゆる忍術を完璧にマスターし、日本を仏教国家にする本願寺
・茶器を売りつけて城主になり、そのまま謀反で大名になる千利休
・流浪の剣豪として村雨を振るう足利義氏
とか。主人公の出自などによって、エンディングの文章なんかが細かく変わるのもよく出来ている。正一位の称号も出自によって太政大臣、関白、征夷大将軍で変わるし。
しっかりとした歴史イベント
こうも自由だと、戦国の世がメチャクチャになるように思われる。しかし、割と適当に進めても史実通りの歴史イベントが発生する。面白いのは、完全な史実通りではなく、微妙に異なったものが起こるということだ。
例えば本能寺の変。自分がプレイしていた時には、史実よりも速いペースで中国地方を攻めていたためか、備中高松城の城主が吉川元春になっていた(史実では清水宗治)。そんな時に本能寺の変が起きたものだから、吉川元春が切腹してしまった。
そのタイミングによって相応しい武将が割り当てられるのだろう。やり方によって、同じイベントでも毎回違う結末を迎えるわけだ。さらに、本能寺の変を織田信長で迎えると、「自力で明智光秀の攻撃から生還して逆襲する」といったifも楽しめる。結構大変だが、真田幸村で大阪夏の陣に勝利するってのももちろん可能。
桶狭間や関ケ原、川中島の合戦などの有名な歴史イベントの他にも、二階崩れの変、大内義隆の最期など少しマイナーな歴史イベントも搭載されている。
これらは特定の登場人物でしか見れなかったりするので、何度もやるモチベーションにもなる。
その他にも嫁探しやら、名刀や茶器などの貴重品集めやら、天覧試合やらやり込み要素は山ほどある。しかし基本的にゲーム難易度は低めなので、割と思い通りに進められるのがいい。
ただ、もちろんアラがないわけではない。
・後半になると味方が強くなりすぎて作業ゲーになりやすい。
・CPUによって戦争と内政のバランスが極端になりがち。(戦争を繰り返して、領地は広いが国力がめちゃ低い武田北条とか。)
・一部特技が強すぎる。(戦場最強の特技「風林火山」、攻城戦に欠かせない「城門爆破」、新陰流「転」)
・荷留めがウザすぎ
などは欠点といえる。
しかしそれを差し置いても、歴史シミュレーションゲームとしては過去トップクラスの出来だと思う。
戦国時代の日本、という巨大な箱庭をどう作っていくか。このゲームの魅力的なのは一番がそこで、「全国制覇が必ずしも目的ではない」ということだ。ずっと傍観者でいることも出来る。ロールプレイの役割を、与えられるのではなく選択できる楽しさがある。
じっくり腰を据えてやるタイプのゲーム好きならやってみて損はない。
ハードはPS2、PSP、PCが選べる。
ロードの関係でPSP版よりPS2版の方がオススメ。
あと、PC版は登場キャラクターやイベントなどがPS2版より少ないもののインターフェースは見やすく、何より自分オリジナルのイベントを作って導入できる「イベントコンバーター」が使えるというメリットがある。
この辺は一長一短なので好みに応じて。