映画『アサシンクリード』をアサシンクリードファンが見てきた。(ネタバレあり)
まず、最初っから最後まで通して言えることなので先に言っておくと
尺不足
これに尽きる。
まあこれは分かりきってはいたことだ。そもそもゲームというのは、説明に関して制限がない。膨大な説明書を読ませて、ゲーム内tipsとかで説明を随時追加して、プレイ中の好きな時に読ませることが可能だ。
対して映画は、どんなに説明過多にしても2時間の中で説明出来なければ終わりなのだ。
アサシンクリードは原作がゲームであり、その設定の多くはその「ゲーム的説明」によって補完されている。それを2時間で全て説明し切ろうって方が無理と言えば無理なのだ。
物語を見れば、ゲームと必ずしもイコールな物語ではないのでツッコむのも野暮なのかもしれないが、やっぱり気になった。
具体的に何が説明仕切れていなかったのか、気付いた限り紹介する。
エデンの果実
映画とゲームに共通して、アサシンクリードにおける重要な要素。物語は終始これを巡って展開する。
映画では「遺伝情報の全てが記録されている」とかなんとか。まあようするに、これを手に入れると人の考えとかをコントロール出来るみたいな描かれ方だった。
ゲームではどうだったか?
これが登場したのは1のラスト。実際にそれがどのように扱われるかを描いたのは2以降になる。
そこでは「歴史上の指導者や独裁者は果実を所持し、人々を導いていた」という陰謀論全開なエピソードが実際の写真を用いて描かれる。
アサシンクリードで俺が好きなのはこういったダイナミックすぎる歴史感だったりするが、それはまた別の話で。
で、それが使われるとどうなるか。
ゲームでは、周囲の人間を完全にコントロールし、そのまま自殺させることも出来る強力なアイテムとしてゲームには登場する。
それに比べると、映画の中では「エデンの果実」がいかにヤバいものか、という説明が薄かった。これが物語的にはやっぱり弱い。
支配される、とはいっても実例がゼロなのでヤバいもの感が伝わっていなかったと思う。
だからアサシン達が何でそんなに必死に止めようとしてるのかが伝わりづらくなっていた。
テンプル騎士団
アサシンクリードは、テンプル騎士団とアサシン教団の戦いがメインになる。そして、このテンプル騎士団がいかに巨大な組織なのか、ということがストーリーを通して重要なポイントになっている。
単なるオカルト秘密結社かと思っていたら、政治家、英雄、大企業、ありとあらゆる場所にテンプル騎士団が入り込んでいて、世界を牛耳っている設定なのだ。
ゲーム中のサブエピソードでは、「ニコラテスラが電気を発明したが、テンプル騎士団がエジソンに味方してそれを握りつぶした」とかいうとんでもない話があったりする。あるいは、「テレビのサブリミナル映像で人々を洗脳していることに気付いた一家に、テンプル騎士団の粛清の手が迫る」という音声があったり。
さらに実際の歴史的な写真を用いて「実はここにもテンプル騎士団が…」って設定にすることでリアルな恐怖を煽っていた。
まあようするにとんでもない連中だ、ということ。
それも映画では説明しきれていなかったように思う。騎士団の長らしき女性が出てきたけれど、あれが誰かって語られていたっけ?
なんかテンプル騎士団の秘密基地と聖堂での会合シーンぐらいしか現代の舞台が無かったので、あんまりデカい組織って感じはしなかったな。
アサシンの道具
これは細かい点なのだが、アサシンの道具に関する説明も少々薄かった。
劇中で走りながら遠くの敵を倒す場面がいくつかある。それはそれでカッコいいのだが、問題は「何を使っているかわからない」ことだ。
投げナイフなのか発射式ブレードなのか。肝心な道具が全く見えない。だから、終盤で敵の将軍を倒すときにも違和感がある。
倒れた仲間の武器で一撃を加えるのだが、「あれは何の武器なのか」が全くわからない。
ゲーム内ではストーリーの進行に合わせて様々な武器や道具が使えるようになり、アクションの幅や暗殺手段が増えていく。
これが面白いポイントなんだが、まあ映画じゃキツイよな。
そしてこれはアサシンクリードの代名詞にして映画のハイライト「イーグルダイブ」にも関わってくる。
塔などの高所から落下し、無傷で着地するアサシンの奥義なわけだが、映画ではその過程で「何かを投げて、それによって勢いを軽減しつつ着地する」という描かれ方をしている。
が、その何を投げているかが全く見えない。恐らく冒頭で使っていたワイヤーなのだろうが、それをどう使ってどこに当ててどうなったのか全く分からない。
ゲームでは落下地点に干し草などのクッションがあり、そこに落ちるから大丈夫っていういかにもゲームって感じのアクションなんだが、実写化にあたってさすがに「謎の干し草」じゃあ説得力が無いからってことでアレンジされたんだろうけど。
でもなあ…あんだけもったいつけて描いたのにラストではイーグルダイブをバッサリカットするのもなあ。
歴史観
ゲームでは、様々な時代で行われていたアサシンと騎士団の戦いを追体験するという設定。
ストーリー自体は架空だが、実際の歴史上の出来事の裏側で起こっているという描き方。
フランス革命や十字軍遠征、アメリカ独立、そういった歴史の裏でアサシンとテンプル騎士団は何をしていたのか?というのがテーマだ。
もちろん人物も。
実際のゲーム内では、レオナルド・ダヴィンチ、チェーザレ・ボルジア、ニッコロ・マキャベリ、ワシントン大統領などが登場して主人公と絡む。
本作でも、スルタンとかスペイン王とかが出てくるのだが、それがどんな人物でどういう歴史があるのか、その説明量が非常に少ない。
異端審問会で焼かれたのがアサシンであり、トルマケダと戦うというのはいいのだが、どうしてもその説明が少なく感じた。
まあ個人的にこの辺の歴史疎いのもあったけど。
ゲームでは「ゲーム的説明」で保管される最たる部分なので、しょうがないと言えばしょうがない。
ただ、「歴史の裏側を見る」というアサシンクリードの魅力は若干薄くなる。
--------------
だいたいこんなところか。
あと、ボリュームの関係で削られてしまったと思われる「鷹の目」の要素も個人的には残念だ。
アサシンの特殊技能の一つで、隠されたアイテムや敵の足取り、ターゲットなどを見抜くことが出来る。
これもカッコいいから再現して欲しかったなぁ。
アクションにスピード感はあるし、街並みはきれいだし、名台詞も再現されている。だからこそ、欠けたところに目が行く。
この、「大作ゲームを映画化する」という動き自体は今後も続いていくだろう。
大作ゲームの表現はどんどん映画的になっていくから当然と言えば当然。
その中でこの、「説明」ということをどのように行うかは最重要課題なのではないか。
なんのかんの書いたが、悪い映画じゃない。むしろよくやった方だと思うんだよな。
だから、ファンの目線じゃなくて普通の映画好きの目線による評価が気になるところだったり。
ただ、やっぱラストの暗殺はエアアサシンであってほしかったなあ。
ユービーアイ・ザ・ベスト アサシン クリード シンジケート 【CEROレーティング「Z」】 - PS4
- 出版社/メーカー: ユービーアイソフト
- 発売日: 2017/05/25
- メディア: Video Game
- この商品を含むブログ (2件) を見る
ポストブラックが最近好きだという話
メタルが好き、というのは何度も話しているのだが、今その中でも特に「ポストブラック」と呼ばれるジャンルにハマっている。
名前からも分かる通り、「ブラックメタル」の「ポスト」なジャンル。
ブラックメタルの音楽性を持ちつつ、新しい形で発展させたバンド群を差す。ただ、これはかなり大雑把な分け方だ。
その内部にはなんやかんや細かいジャンルがあり(メタルはジャンル分けが好きだな)、そのルーツはどこで…とか追っかけだすとキリが無い。
まとめて言えるのは、ブラックメタルの暴虐性みたいなものを別の形に昇華した音楽、ということだ。
ブラックメタルがどんなもんか、というのを語りだすとそれはそれでクソ長くなるので割愛。実際に聞いたやつをいくつかご紹介。
Deafheaven
恐らくこの手のジャンルでは一番の有望株とされているバンド。2010年にアメリカで結成された若いバンドだが、デビュー直後からピッチフォークをはじめとした各音楽メディアで絶賛を受けまくっている。
元メガデスのマーティーもお気に入りだとか。
音楽性的にはブラックメタルとシューゲイザーの影響がみられる。まとめて「ブラックゲイズ」と呼ばれることもあるが、恐らくそういったカテゴライズにハマるタイプのバンドでもないだろう。
Alcest
2000年に結成されたフランスのバンド。バンドというかプロジェクトに近い。こちらも、ブラックメタルの激しさと様々な音楽性が融合した、独自のサウンドで人気を博している。
日本にも結構来てたり、アートワークなどもブラックメタル然としない優しいタッチのものが多かったりと、割ととっつきやすいバンドだと思う。
An autumn for Crippled Children
オランダのポストブラック/アトモスフェリックブラックメタルバンド。
正直この手のサウンドの中では相当好きな部類に入る。シューゲはもちろんだが、アンビエントだったり、空間音楽的な美しさとブラックの暴虐性を合わせた切なさはやはり気持ちがいい。
このような、ゆったりとしたリズムにストリングスなどを加えたスタイルを「アトモスフェリックブラックメタル」と呼んだりするらしい。
正直似たようなサウンドが続きがちなジャンルだけど、このバンドはアルバムごとに新しいアプローチをしてるのもいいなあと。
VMO(Viloent Magic Orchestra)
こちらは日本のポストブラックバンド。
Vampilliaというバンドのメンバーが結成した別プロジェクト。
名前の通り、エレクトロ系統からのアプローチが中心。「踊れるブラックメタル」を標榜しているが、まさにその通り。
エレクトロの快感点とブラックの気持ちよさが一曲に同居している。
正直聞いてて疲れると言えば疲れるんだけど、飲み込まれる感じが癖になるというか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
個人的に好きなポストブラックをいくつか紹介した。
正直ここに上げたのは一部も一部。ニューロシスみたいな先駆者とか、アゼルバイジャンのViolet coldとか、縦幅も横幅も紹介しきってない。
このポストブラックというジャンルは、メタルの派生としてカテゴライズされることが多いけれど、実際はその枠にとどまらない。
というか、そういった「メタル的カテゴライズ」を嫌う人がインタビューを見ていても多い。好きなもの、好きなことを突き詰めていった結果こういった形になっただけで、別にメタルのためとかメタル魂がとかそういうのはどうでもいいって感じ。
メタルの体育会系気質なとこは、愛らしくもあるが同時に嫌らしさも産む。
まあ俺がベビメタ苦手だったのもそういうのに恐らく根差していたし。
ともかく、そういった「カテゴライズ」から解き放たれつつあるジャンル(なんか矛盾した表現だけれど)、としてポストブラックがあるんじゃなかろうかと思ったり。
B-DASHの思い出
俺もそういう時期に来た、という実感がある。
ロックバンド「B-DASH」が結成から20年を持って解散することを発表した。
彼らは、俺にとって「初めて好きになったバンド」なのだ。「音楽を聞く楽しみ」の原体験と言ってもいい。
解散や活動休止というものはいつもどこかで遅かれ早かれやってくる。国民的アイドルのSMAPも解散した。あれもあれでショックではあったが、どこか他人事の部分もあった。
だが、自分の人生において非常に大きな存在であったグループの解散というのはやはりズシンくる。
いずれ来ると分かっていても、実際に来ると何か大きな喪失感というか、あるいは俺自身が年を重ねてしまったことを突き付けられているような、何とも言えない感覚になる。
ここからはホントに日記だが、俺がB-DASHと出会った頃のことを述懐したい。俺もこれからドンドン老けていく。今のうちに記しておきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2000年代初頭の話。
当時はCDがやたらめったら売れる時代。大物ロックバンドや女性ソロシンガーの曲がミリオン行くのは当たり前みたいな。
当時俺は中学生だった。個別の部屋も与えられ、ラジカセも買ってもらった。ただ、聞くものが無い。
俺の親父は典型的なロック世代。そんな親父は俺が音楽に興味を持ったことに喜び、洋楽の名盤を何枚も買ってくれた。ビートルズやディープパープル、CCRやドゥービーブラザーズをよく聞いてたな。
ただ、それはそれで良い音楽なんだけれど「俺の音楽」ではない。
そしてテレビから聞こえてくる音楽も。カッコイイし、良い歌なんだけれどリスナーとしての当事者意識が無かったというか、「俺の」って感じは無かった。
そんな時、隣の家に住んでいた友人から雑誌をもらう。
ストリートロックファイル
日本のインディーズバンドを中心に紹介する雑誌だった。インタビューやライブレポートの他に、掲載されたバンドの曲が合計20曲近く入ったCDが付いているという画期的な雑誌だ。
それを読んでいくうちに、日本のインディーズシーンというのに興味を持つ。175Rやシャカラビッツのようなポップパンク、ガガガSPやGOING STEADYのような青春系のパンク、そんな中でB-DASHに出会う。
俺が感じたのは「近さ」だった。
物凄いスキルを見せつけるわけではなく、青春系の激しい激情をぶつけるわけでもなく、ひたすら聞いていて楽しいロックだった。
いわゆる「適当めちゃくちゃ語」で構成された、響きしかない歌詞。抜群のポップセンス。親しみのあるルックス。
他のバンドには無い、「近さ」がある。当時の俺はそう感じていた。つまりは、憧れを持った。
「俺もああなりたい!」そう思える初めての存在だったと思う。
そこから俺は様々な音楽を聞いていくようになるわけだが、やはりベースはB-DASHの原体験にあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
やっぱり切ないし悲しいんだけれど、だからこそ思い出だと思う。
永遠にあのままで、なんて言えない。当時はやっていたポップパンク勢も解散したり活動休止したり、あるいは音楽性を大きく変えたり。
それを揶揄して「ロックは終わった」みたいなこと言う人もいる。
でもそれは、自分たちの思い出を守ることを、誰かに押し付ける行為ではないだろうか。
年齢は重ねていくし、時代は変わる。でもお前らはそのままでいろ、なんてのは残酷じゃないか。
俺も変わった。時代も変わった。そして音楽だって同じように変わっていく。思い出はいつも優しいものだが、そこに甘えていてはいけない。
B-DASHは一旦終わる。でも俺は生きていくし、バンドのメンバーも先に進む。それでいいんだ。
でもあの日あの時、俺が自分の部屋でB-DASHを聞いて心躍らせていた時間、事実は永遠だ。多分ジジイになってもそうだろう。むしろ、心からそう思える存在があったことを幸せに思う。それで俺は先へ進むことが出来る。
ただただ、ありがとうB-DASH。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
うーんポエミーだ。
勢いに任せて書いてはみたが、何やら恥ずかしさもある。
まあ、ロックってそういうもんだよな、と自分に言い聞かせてみたり。
街の姿
東京に住んでもう一年。
だいぶ慣れてきて、路線やら街の様子やらも分かるようになってきた。
東京は街の特色というのがハッキリ分かれている。少なくとも田舎者の俺の感覚では。例えば秋葉原はオタク文化と電気の街。渋谷は若者中心のファッションの街。五反田はホテル街。日暮里は…まあそういう街。
色々と分かれて、それぞれの文化や歴史がある。
こないだ暇な時に、ネットで自分が住んでいた(正確には通っていた)街について調べてみた。すると、そこには意外な光景があった。
別の地方から来た人にとって俺の地元は、格好の被写体らしい。山に囲まれてるというのはもちろんだが、それ以上にその街の姿。
そこに切り取られていたのは、
昭和のころから変わらない看板を出し続ける洋服屋
寂れ切った置屋らしき店
100メートル間に数十件スナックが立ち並ぶ裏道
どう考えてもカルトだろうってな宗教をガンガンアピールする家
著作権なんかかんけーねえ!ってな飲み屋の看板
そうやって切り取られると確かに異常だ。
高校の頃には気づかなかった。むしろ「何もねー街だな。」ぐらいに思って、都会に憧れていた。
そうなんだよな。この街は基本的に夜の街なのだ。
この歳になってやっとわかった。だってさ、人口10万もいないのにキャバクラは3件もあるし、スナックは何十件あるんだって話だし、国道沿いに思いっきり風俗店があるし。
そんな街なんだよな。
東京みたいに駅ごとでカッチリ色分けされているわけではなく、あくまでグラデーションなんだと思うけれど、この街は夜の要素が濃い。
ダム建設や道路建設で需要が高まった結果らしいけれど、それも昔の話。
そんな街で、過疎化が進んで若者が減っているといいつつ新しい居酒屋は帰省する度に増えるし、ガラの悪い兄ちゃんはキャバクラに入り浸っている。
地方創生だーとかいうんだけどさ、こういう街はどうなるのか、ふと思った。
健全で明るい、「田舎」になるのか。
だとしたら、毎晩飲み歩いてるオッサンら、スナックのママ、風俗の姉ちゃんはどこに行くのか。
明らかに「影」の方が濃いんだよなこの街。
まあどう付き合うかは俺ら次第だとは思うけれど、「影」が無くなったら寂しいとか以前に魅力ゼロになりそうな気もしている。
かといってなんかずっとグレーなまま行ける時代でもないと思うし。
今度帰省した時にはもうちょっとよく見てみよう。
炎上を見ると心が荒む話
具体的にどの炎上がってわけではないが、やはり炎上騒動を見ていると心が荒む。
それが例えば、自分が応援している芸能人などでなくてもだ。もちろん、犯罪行為やって非難されてる人を擁護する気もないのだが。
ただ、当事者間ですでに決着がついた事象について回りがひたすら薪をくべ続けるような状況になるともう辛い。そうなるともう目的が別になっている。
また、当事者同士が全く引かない状態で周りがドンドン加熱してくのも辛い。いい大人が「言った」「言わない」の応酬で「証拠がー」とか罵詈雑言をぶつけ合って最終的に、「暇なんですね(笑)」とか嫌味合戦になってるのはもう最悪。
見なきゃいい、ほっときゃいい。そりゃそうなんだけどさ。
単純に怖いんだよな。これ俺にも火の粉飛んでくるんじゃねえかって。俺は別に知識人や芸能人では無いけれど。
議論ならいいんだよ。「私はこういう理由でこう思います」「私はこういう理由でそうは思いません」「ではこうしましょう」で終わる話なら。そうじゃなくて、完全なる決着をつけるまで納得しない人ってのが結構いるということが怖い。
もちろん炎上でコメントしてる人のほとんどが野次馬、というか俺もそうなんだけど。ただ俺が野次馬のターゲットにならない、なんて保証はどこにもない。
立場の差こそあれど、やってることやられてることに差はない。意見や認識の齟齬があり、それが埋まらないままぶつかり合う。
周りも、いつの間にかぶつかり合うことを見る、それ自体が目的になる。
結局のところ炎上ってのは上手く言ったもんで、終わった後に何も残らない。前に進むわけでもないし、誰かの溜飲が下るわけでもない。いつの間にか燃えること自体が中心になって、大本の原因なんて誰も気にしなくなる。
嫌な思いをしたやつがいて、新たな勘違いや思い込みが産まれて、状況は何一つ好転しない。ただただ「人が大量にアクセスした」という事実だけが残る。焼野原が残るみたいな。
それを見て「ほら、人が来るでしょ!」なんて言われてもな。
まあそれでも、今日もどこかで誰かが燃える。
というか、メリットが無くたって人は怒るし、反対意見には一言いいたくなる。俺だって当事者になれば多分そうだろう。
怒ってる人に「怒るな!冷静になれ!」って部外者が言ったって無意味だし。「余計なこと言うな」って部外者から言われたら「お前こそ余計なこと言うな」と言いたくなるわな。
だから、炎上が無くなることは多分無いし、これからもあちこちで焼野原が産まれる。
出来ることなんて、今のうちに心を鍛えて「炎上なんかかんけーねえ!」ってなるか、燃えないようにこそこそ立ち回るだけなんだよなあ。
あーしんどい。