ブレードランナー2049と、何物にもなれない誰かと
恐らく、語ること自体が非常に難しい映画の一つである『ブレードランナー』。
その続編だというのだから大変だ。
で、見てきた。
ぶっちゃけ、考察だなんだが出来るほどの知識と含蓄は無いのであくまで感想ベースで書き残しておく。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーー(ネタバレあり)
主人公「K」は新型のレプリカントであり、同時に旧型のレプリカントを狩る、いわゆる「ブレードランナー」。
家ではホログラムの彼女「ジョイ」と暮らしている。最近、新型デバイスを手に入れたことによって、家の外にもジョイを連れ出せるようになった。
そんな時、始末したレプリカントの家から驚愕の事実が見つかる。
「レプリカントが子供を産んだ」
元々労働力として生産されたレプリカントにそういった機能は無いはずだった。
しかし、これが繁殖機能を持っていたとすると大変なことだ。
LAPDの上司はそれを秘匿し消滅させようとする。
一方、新型レプリカントを作り世界を牛耳るウォレスは、レプリカントの生殖機能によってさらなる量産をもくろむ。
そしてそのカギを握るのは、レプリカントの子供の親である、かつてのブレードランナー「デッカード」だった。
あらすじはこんな感じ。
上映時間は2時間44分。結構長い。
で、レビューとか見ると「長すぎ!」「冗長すぎ!」ってな感想も多かった。
まあ分からなくはないんだけど、そういったレビューの締めは大体「2時間で収まる話だろ」だ。
俺は逆に、「やれるなら3時間でもやってくんねえかな」って思った方。
この物語、結論から言うと決着はほとんど何もついていない。
レプリカントの神たるウォレスは相変わらずだし、デッカードも娘に会ったところまで、そして蜂起をもくろむ旧型たち。
彼らは何も決着をつけていない。
唯一成し遂げられたものは、「K」が「自分のやりたいこと、やるべきことを成し遂げる」ということ。
常に指示に従いレプリカントを処理してきたK。生殖機能は無いし欲求もほとんどない。
趣味があるわけでもない。
なぜならレプリカントだから。
そんな彼が、初めて手にした希望。「俺はレプリカントから生まれたレプリカントなのか?」という希望。
これはもろくも崩れ去る。自分を唯一プログラムながらも愛してくれていたジョイもデータが破壊され、警官としての職務も失い、何より「特別なレプリカントである」という希望も失った。アイデンティティはすべて失われた。
そんな彼を求める人もいる。
「一緒に立ち上がってくれ」と願い、秘密保持のためデッカードを殺すように促すレプリカントたち。
しかし彼は、そこに与しなかった。
Kは誰に願われたわけでもなく、デッカードを本当の「特別なレプリカント」である娘に会わせて息を引き取る。
「大義のために死ぬことが~」とかレプリカントは誘惑してくるし、ウォレスは「俺は神になる」的なことを延々言ってるわけだが、Kはどれにも属さず自分のやること、やりたいことをやる。
最後の最後にKは本当の意味で「特別なレプリカント」になった。
なぜKは特別になれたのか?
それは「愛」。というと少しクサい感じもあるけれど実際そうなんだろう。
「子供」という愛の結晶。自分がそうであって欲しい、と思った瞬間からKは愛を求めだす。ジョイと身体を重ねようとする。
そしてそれらを失った。
だから彼は「特別」になれたんだろう。
そして、デッカードの愛のために彼は力を貸す。
登場人物の中で、最後の最後に最も人間的な行為を行ったのはレプリカントのKだった。
退廃しながらも美しい、愛に溢れているけど悲しい映画だった。
ーーーーーーーーーーーーーー
俺の感想はこんな感じ。
例えば「レイチェル」という名前がユダヤ人の母たる「ラケル」に由来しているとか、「「結局デッカードってレプリカントなの?」とか、「折り紙の意味は!」とか、「ジョイ可愛すぎぃ」とかいろいろあるとは思うんだけど。
そういうのを一旦置いておいて、この物語を「Kの物語」として俺は楽しんだ。
ビジュアル面は相変わらずすげえし、音楽の重低音も効きまくってた。
ワンシーンは確かに長いんだけど、その空間が作りこまれてるから俺は退屈せずに見れた。
賛否あってまあ然り、という感じだけど、俺はこの作品を「名作」の棚に置いておきたい。
最近聞いてる曲 / 2017後期
SUSHI BOYS / 軽自動車
詳細がよくわからないラップグループSUSHI BOYS。
そのグループ名と曲名から、なんとなくゆるそうなイメージを抱くが楽曲は、滅茶苦茶カッコいい。
ポップなバックトラックに乗せて流れる3人の軽妙なラップ。
田舎、というスタンスを悲観的でもなく、かといって楽観的でもなく、現実的な目線で語り継いでいくライム。
飾り立てることなく、堂々と傷だらけの軽自動車で街に繰り出す姿は痛快だ。
オクラホマミキサーをリミックスしたOMGって曲も洒落がきいててカッコいい。
ーーーーーーーーーーーーーー
モーニング娘。17 / 若いんだし!
言わずと知れたアイドルグループ、モーニング娘。のシングル。
人気メンバー工藤遥の卒業をフィーチャーした楽曲で、曲中の「どぅー!」というコーラスは工藤のニックネームから来ている。
ダブステを取り入れたり、ロシア系ナンバーを急にやったりと音楽性の広さは昔から知られているつんく♂。
今回はトロピカルハウス全開。それでいて、歌詞や歌メロの中にあるつんく♂節も健在。
言い方は悪いかもしれないが、「最先端」に全力に振り切らず、少し「ダサさ」みたいなものを残すことこそがつんく♂の良さであり、モーニング娘。の良さなのかなと思ったり。
歌詞も「若いからなんでもやろう」みたいな明るいだけの歌かと思いきや、
「無くしたものばかり数えても未来には繋がらない」
「他人に見せられない私も私である」
などハッとさせられる視点が歌い込まれている。ある意味、過去というデカい存在とずっと生き続けるグループだからこその歌詞なのかなと思ったり。
ーーーーーーーー
OZROSAURUS / OUR TIME IS N.O.W.
横浜出身のラップグループOZROSAURUSによる、横浜DeNAベイスターズの応援歌。
ゴリゴリのラップを応援歌として採用するあたり、フットワークの軽さが素晴らしい。
ラップ界でよく使われる「レぺゼン」、まさにその「レペゼン横浜」たるOZROとベイスターズがコラボするのは自然でもある。
静かな前半部から徐々に高まっていき、この曲最大のパンチライン「横浜なめたらタダじゃ済まさない」で最高潮を迎える。
スポーツカルチャーと音楽というのも、切っても切れない関係性であるが、この曲はその新しい形を切り開いた楽曲だと思う。
日本シリーズでは苦戦しているが、「ただじゃ済まさない」ところを見せつけてほしい。
ーーーーーーーーー
Advent Sorrow / Pestilence Shall Come
流行っちゃあ流行のジャンルだとは思う、いわゆるポストブラック / デプレッシブブラックに含まれると思われる曲。
ガッツリとコープスペイントしてる辺り、メタル的意識は強めな方。
「なんでそんなに悲しい曲をやりたがるんだ!」と言いたくなるような、切なさと絶望であふれかえった楽曲。
明るくポップに生きようぜってのも分かるが、一方でどうしてもそれが出来ないやつらってのも必ずいる。
それが「マニア向け」とか「天邪鬼」って言われるならしゃあない。
でも多分、こういう音楽ってずっと無くならないと思うんだよな。ポップスが巨大化していけばいくほど、陰の部分も濃くなっていくと思う。
ーーーーーーー
今期はメタルよりもその他のポップスやラップを聞く量が多かった。
大型化した欧米ポップスはやっぱり楽曲のクオリティ高いし、ベックやらを筆頭に大物アーティストも次々に新譜をリリースしていて耳が忙しい。
一方メタルも面白いんだけれど、何かこう一個図抜けたようなバンドやアルバムが欲しいなあと思ったり。
楽曲だけ聞いて後から調べると国がバラバラで、メタルの広がりを感じる一方シーン全体が若干落ち着いてきている印象もある。
ただ、俺が見えてないってだけかもしれないので、もうちょっと角度変えて色々聞いてみよう。
映画感想『アウトレイジ最終章』 /『ドリーム』
最近見た二本の映画の感想。ネタバレありなので注意。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『アウトレイジ 最終章』(2017)
北野武監督のバイオレンスヤクザ映画シリーズ三作目
ヤクザの抗争と、権力争いの中で繰り広げられる凄惨な暴力と裏切りと、飛び交う「バカヤロー!」
やはり人間ってのはどこか残酷なもんで、見る前に心のどこかで期待していたのは「今度はどんな暴力が見れるかな」ってこと。
1のカッター指詰め、中華料理屋、歯医者、首ちょんぱ。
2の指噛みきり、ドリル、野球。
強烈なインパクトのある暴力シーンを今作にも求めていた。
もちろん、大杉連のキャンプとか火薬田ドン(笑)とかはあったんだけれど、それらが直接行われたところは映さなくなっていた。
アウトレイジは結局、「ケジメを誰がつけるのか」という物語。
誰かがあいつらに殺られた。だからあいつらを殺る。これの繰り返し。
そうなってくると、誰もが薄々感づいてくるのは主人公である大友のケジメ。組関係なくあちこちの子分から幹部を殺りまくった大友。
それはもちろん誰かの尻ぬぐいだったり、誰かの復讐のためだったりするのだけれど、だから認められるってことでもない。
張会長は最後の最後まで「余計な事すんなよ」と言いつつ黙認していたものの、部下の李(白竜)は最終的に大友に銃を突きつけ「これ以上迷惑かけないでくださいよ」と告げる。
元を言えば、別に張会長は花菱にやり返せと指示は出していない。大友は「ケジメをつける」という大友の流儀で最後まで動いていた。
それが巡り巡って、いよいよ大友の番が回ってきた。
自身の行動によって張会長に迷惑が掛かり、誰かがそのケジメを付けなければならない。
その時大友は自分で自分にケジメをつける。常に「やられたらやり返す。キッチリケジメをつける」という行動原理で動いてきた大友にとっては至極当然の行動だった。
その後、花菱会は会長と幹部を失って弱体化しただろうし、山王会も五味と白山の決別でより弱体化するだろう。ただ、花菱の会長に就任した西野も、山王会を乗っ取った五味も、1やビヨンドの頃から何も変わっていない。
大友が消えたことで一旦この連鎖は止まったけれども、また些細な事で同じような抗争は起こるんだろう。
そういう虚しさみたいなものをエンディングの、大友の死体から感じた。
暴力を求めるやつに突き付ける、ある意味「こんなものにマジになってどうすんの」感。
「物足りない」って意見もわかるけれど、だからこそ意味のある映画なのかなと思ったり。
予告編では睨みをきかせてめっちゃ怖そうだったピエール瀧が、最初から最後までひたすら情けない役を好演していた。
中田の襲撃や大友の復讐にビビりまくってる姿が最高。
あと張会長のホンモノ感は前作に続いて凄かった。「おいコラァ!」って凄んだシーンは他の大物役者以上の怖さを感じた。
『ドリーム(Hidden figures)』(2016)
アメリカ初の有人宇宙飛行「マーキュリー計画」の裏側で活躍したNASAの黒人女性職員たちの物語。
何故か最初の邦題に「私たちのアポロ計画」というのがついてて問題になったり。
今でも問題になる人種や性別に対する差別。それが今以上に激しかったころの話。
すごいなと思ったのはその差別意識の描き方。
分かりやすく「黒人は出てけ!」とかそういうこと言うやつはほとんどいない。
誰も悪いと思っていないし、当たり前だと思っている空気感で黒人を、女性を差別している姿が描かれている。
劇中のセリフでこんなのがあった。うろ覚えだけど
白人の上司「ドロシー。私は偏見は持っていないわ」
ドロシー「わかっています。そう思い込んでいることを」
誰もが、「自分は差別などしていない」と思い込んでいる。
だからこそ、徹底的に冷たくなる。
白人の上司とか、データを隠す同僚とか、やって当たり前だと思っている。嫌な奴に見えるんだけれど、じゃあ俺は彼らを糾弾出来るだろうか。
ぱっと思いつくことが無いということは、俺も無意識にやってるんじゃないかとか思わされたり。
それに対して、差別と闘い夢に向かう主人公達。
決して「やり返す」ってことをしなかった。嫌味な上司に「ざまあww」って恥をかかせるようなことも無く、人前で吊るしあげたりすることもなく、ひたすら実力で夢を勝ち取ることだけを見続けている。
夫や恋人たちの方が逆に「黒人には無理だよ」「女性なのにすげえな」とどこか諦めたような姿を見せる。そんな彼らにも怒りをぶつけたりはしない。常に前を見続けている。
強い。ひたすら強い姿を見せられた。
マーキュリー計画が成功した後、オフィスのシーンが素敵だった。
データを意図的に隠したり、女性が会議に参加することを拒んでいた白人の同僚。
報告書を製作する主人公。製作者の欄に自分の名前を併記する。
今までならば「計算係の名前はいらない」と突っぱねていたが、ラストでは主人公の名前が併記されていても何も言わず受け取る。
コーヒーメーカーも白人と黒人で分けられていたが、ラスト付近では白人の同僚からコーヒーが手渡される。
特に同僚から謝罪のシーンがあったりするわけではない。ただ行動の描写だけで全てを伝えるのが素晴らしい。
各シーンのテンポも良く、ファレルウィリアムスの音楽も相まって最後までスムーズに見れた。
大ヒットして、賞を総ナメしているのも納得。
掛け値なしの「良い映画」って感じだった。
グレン・パウエル演じた宇宙飛行士グレンも良かったなあ。
常にニコニコして、それでいてピンチの時にもうろたえない。
あとメアリーを演じていたジャネール・モネイさんって歌手なんすね。
後ほど歌も聞いてみます。
ーーーーーーーーーーーーーー
『ドリーム』はいつも見ているところとは違う映画館で見たのだが、客層が違うせいかジョークシーンで笑いが起こったり、分かりやすく泣いている観客もいた。
いつもの映画館ではなかなかそういう体験はしたことがない。
見る環境を変えると、映画自体も違って見えてくるんだな。
Steamを導入してプレイしたゲーム、「Her story 」「Banished」
オンラインのゲームプラットフォームSteamを導入した。
最新ハードに中々手が出なかったのもあるが、PCの容量が意外にあまっていたのに気付き一念発起。
まーたくさんソフトがあるわけで、言わずと知れた名作から隠れた秀作、「これで金取るのか!」ってクソゲーまで様々。
ただ今回は最初っから目星をつけていたゲームがあり、そいつをsteamでの第一歩としてプレイしてみた。
Her story
一風変わった推理ミステリーゲーム「Her story」
プレイを開始すると映し出されるのは2世代ほど古いパソコンの画面。
説明もなく、画面の中にあるのは検索ウィンドウ、そこに打ち込まれた「殺人」のワード。
そしてそのワードに合致した3つの30秒ほどのビデオ。1人の女性が取り調べを受けた様子が記録されていた。
そう、これはひたすら検索をし、ビデオを見るだけのゲームだ。
検索ワードを変えることで見れるビデオが変わる。
そして取り調べを受けている女性の発言を少しづつ読み解くことで事件の全貌に迫るのが目的だ。
最初に言ってしまうと、エンディングらしいエンディングも無く、全貌が分かったからといって何かが起こるわけでもない。
ただプレイヤーが真実を知る、という目的のためだけのゲームだ。
ここまでシンプルに絞っているからこそ、余白が多くこちらの想像を掻き立てる。
一発ネタではあるのだけれど、やはり他にはない魅力があるゲームだった。
謎が分かったときはやっぱり膝を打ったし。
ちなみに、このゲームはファミ通で連載されている山本さほさんの『無慈悲な8ビット』で知った。
色々ゲーム紹介してくれるし、面白い漫画なのでおすすめです。
Banished
ニコニコの字幕実況で気になっていた作品。
簡単に言うと、シムシティの中世村版という感じ。
家を建て、畑を作り、交易を行って街を発展させていく。
昔からあるスタイルだが、舞台が中世ということもあり結構難易度は高い。
薪が無くなれば凍え死ぬし、食料が無くなれば餓死するし、家が無ければ子供が産まれず高齢化して全滅する。
様々な資材のバランスと住民の数、村の発展目標などを考えながら計画的に進めていかなければならない。
俺も一度飢饉を起こして全滅したが、このメカニズムには驚いた。
鉄の道具を交易品に→交易に使用した結果村の道具が枯渇→作業効率が低下→食料の生産量が低下→食料不足→健康状態悪化→さらに作業効率が下がる→飢饉
ちょっとしたミスが大惨事になる。
難易度や気候の厳しさをスタート時に設定できるのである程度は楽にできるが、一番簡単にしても全滅は容易に起こる。
碁盤の目状に村の街並みをきれいにするのもアリ、自分なりにテーマをもってエリアを作っていくのもアリ。
システムを味方につけてからが楽しくなるゲームだと思う。
そうなったら、多分一生遊べる。MODなんかもあるし。
こちらのゲームを紹介していた字幕実況動画はこちら。
いいぞSteam
今んとこ日本語ありのゲームしかチェックしていないが、いずれは英語のゲームも出来るようになりたい。
PCのスペックを上げればGTAみたいな大作も出来るだろう。
何と言っても、上に紹介した二作のようなインディーズ作品とGTAみたいな超大作が同じ棚にならぶのが魅力だ。
ただ、気軽にポチってしまうので俺の金が尽きちゃう危険が…。セールをチェックして賢くプレイしよう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
英語のゲームの思い出
俺がかなりハマったゲームに『Skate2』がある。オープンワールドの世界をスケボーでひたすら走り回る。これがめちゃめちゃ楽しい。
ただこのゲーム、日本版が出たのは良いのだがローカライズが中途半端で、キャラのセリフに字幕が無かったりトリックの説明が英語のままだったりと少し不便だった。
で、こいつの続編『Skate3』が出たので買ってみたところ、まあゲーム自体は面白かったんだがローカライズはほぼゼロ。
ゲーム内に日本語は一言も無しという潔さだった。パッケージは日本語なのにな。
そこで、google翻訳を片手に必死でプレイしていた。そんな思い出。
EA BEST HITS スケート 3 英語版 (日本語マニュアル同梱)
- 出版社/メーカー: エレクトロニック・アーツ
- 発売日: 2012/01/26
- メディア: Video Game
- 購入: 1人
- この商品を含むブログ (1件) を見る
「意味」と「結果」
最近、モノの「意味」の在り方について考えさせられる言葉をいくつか聞いた。
君はすべてに目的を設定する生活に疲れてしまったのではないか。すべてに結果を求める自分になってしまったのではないか。目的地を持たない旅もあるのである。放浪である。流転である。荒海の中に見つかる自分もあるのだ。孤独の中に感じるぬくもりもあるのだ。
— JXS(杉作J太郎または杉作J太狼XS) (@OTOKONOHAKABA) 2017年9月11日
一つは杉作J太郎先生のお言葉。
これはずーんと来た。それこそ、少し前の俺は音楽やら何やらに結果や目的を、それこそ生み出す側に求めていたように思う。
要は「ロックなんだから○○しろよ」みたいな。
自分に結果を求めずに人に求めてる辺りが中々ズルい。
あくまでそれは俺の中だけで生み出すものだ。
もう一方はこちら、
伝説の格ゲーマーにして、プロゲーマーのウメハラ(敬称略)の講演。
こちらの質疑応答(1:36:20ぐらいから)の中で、「素人と玄人が同時に楽しめるゲームとはどんなゲームか?」という質問があった。それに対する回答。
大人になったり、マニアになると楽しめるものが減っていく。それは、「意味を考える」ようになるから。
意味を考えるとつまらなくなる。
もっと根本的な、早い!気持ちいい!などの「感覚」は初心者も玄人も同じ。
だから、そこを目指すべきだと思う
という言葉があった。
この講演は全編面白かったけれど、特にこの部分が響いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前に引用したJ太郎先生の言葉と合わせて俺なりに考えると、「意味」=「結果」だと思う。
物事が何か動き、その結果があり、意味を産む。
それは社会的な、あるいは個人的なものかは様々だろう。しかし大事なのは、スタートは「動き」そのものであるということ。
その「動き」を見る、聞く、感じることが「体験」だろう。
いつしか俺はそれを繰り返すうちに、先回りして「結果」=「意味」でしか物事を見なくなっていたんだろう。
例えるなら、評論だけで語って、実際には聞いてないみたいな。さすがにそこまでにはなって無かったが、似たようなもんだろう。
もっと原点の「動き」を見ていなかった。そしてその結果、「意味」すらも読み誤って、「動き」をも読み誤る。
実際聞いてみれば、そりゃ良いものは良いのよ。
だから「意味」とか「結果」が生まれてるんだ。
その「動き」そのものに対する自分の視界を曇らせてはいけないなと思う。
ちょっと前から聞くジャンルの幅やらなんやらを広げて、前まで全然興味が無かった分野にも触れるようになった。
すると、やっぱ良いものは良いんだよな。
原点としての「動き」ですでに素晴らしい。
そうやって自分の視界で「動き」を見て、「意味」を見ていくと、今までと全然違ったものが築き上げられていく。
すげー単純に言うと、楽しいんだよな。
そりゃもちろん、好き嫌いはある。ただ、良いものは良い。
カッコいいし、音も気持ちいい、でも好みじゃねえな!
そういう風になってきた。
そっから先はもう、俺の問題というか、言ってしまえば性癖の話(エロのことではなく)
こればっかりはもうどうしようもないだろう。
で、そんな性癖を他人と比べてどうこうしてもしゃあないのだ。
互いに今ここで体験している「動き」そのものを語り、共有しあうこと。
その先にたどり着く「意味」や「結果」が異なったとしても、まあいいじゃん、ってな気軽な感じになれた。
まあ、昔の肩肘張ってた自分も今見れば恥ずかしいは恥ずかしいんだが、自分なりに理想を追い求めて必死こいてたところは別に否定はしない。
やり方が間違ってたな。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
The Avalanches / Subways
ジャンルもよくわからんし、PVもよくわからん。
ただただ聞いていて気持ちいい。
というかアルバム通して全編凄く聞いていて楽しい。
おすすめです。
Oathbreaker / 10:56~Second son of R.
こちらはより直接的にこっちに圧を掛けてくるタイプのサウンド。
俺はこういうのにガンガン乗っかってしまうタイプ。
前半の不穏で暗いパートからブチ切れハードコアサウンドへ一気になだれ込む。
決して明るい曲じゃない。聞いてて「楽しいか?」って言われるとわからんな。
ただ、凄く好きだ。全員これをやれとは言わんけど、こういう人らがいてくれないと俺は辛い。
楽しい音楽は楽しく聞くし、激しい音楽は激しく聞く。
どっちも俺には必要なんだよなぁ。欲張りかもしれんけど。