吐き捨て系日記

もう30になっちゃう男が考えを整理するためにブツクサ綴る、ほんとにただの日記です。

「素朴主義」ってのがあるらしい

「素朴主義」

明確な定義が決まってるわけでは無いが、大まかに言うと以下のような感じらしい。


・知識や批評を抜きにして、何も知らない人が見て感じたものが本物である
・文脈、歴史背景などは余計
・一度抱いた感想は何者にも否定されるべきではない


要するに音楽でも映画でも政治でも何でもいいのだけれど、その場でパッと触れて素朴に感じたことこそが唯一無二の真実であるということ。
裏を返すと、説明や勉強など前提知識が必要だったり、ある種の政治性や思想性の存在が「不純」「余計」であるということ。


ネットで色んなものの感想追っかけてるとたまに遭遇するんですよね。
「頭空っぽにして楽しめる」「純粋に楽しむ」みたいなの。
あるいは「素朴な疑問なんだけど~」とか。

創作物でもたまに見かけるんだよな。幼い子供がポロっと言ったこと核心を突く、みたいな演出。
ネット小話でも子供だったり、女子高生だったりがその役割を担わされてる。


俺はそれがあんまり好きでは無くて。
そもそも「頭空っぽ」にする作業自体がかなり不純というか、自分の人間性を否定してねえか?という。
年齢も性別も仕事も何も関係ない、そういうものを取っ払った自分こそが本当の自分だみたいな。


穢れた現実と、そうじゃない純粋な自分。


なんかそういう捉え方をしているように感じる。


自分の好きだと思ったものが、的外れな批評や貶したいだけで批評どころかただの悪口、みたいなものの標的にされたらそら気分を害するとは思う。
そこで「お前の批評はここがおかしい」ではなく「俺が思ったんだからそうなんだよ!」って開き直っちゃうのはある意味最強の反論ではあるのだけれど。


でも「純粋」「素朴」だから良いってわけじゃないよね。
純粋で間違ってるやつもいて当然でしょう。
素朴に人を傷つけちゃうやつだっているでしょう。

そういうのサイコパスって言うと思うんだけど。


結局のところ素朴主義とは言っても、「俺はこう思った」という意見を否定されないため、正当性を付与するための方便に過ぎないと思う。
そしてそれは対象に対して何より不純な在り方じゃなかろうか。

だって大事なのは「自分が純粋かどうか」だからな。
聞いた音楽が、観た映画が、あるいは社会がどうかってことは全然関係ない。
「純粋な俺が素朴にこう感じました」これに尽きる。


間違ってたならそれを認めて学ばなきゃいけないし、知らないことがあったならそれもまた学ばなきゃいけないし、対立する意見があったなら対話しなければいけない。

それらを放棄して自分だけ気持ちよく好き放題言っててもしょうがないよやっぱ。

そこで今度は「適切に学べているか」っていう問題が出てくるんだけどそれはまた別の話。