Steamを導入してプレイしたゲーム、「Her story 」「Banished」
オンラインのゲームプラットフォームSteamを導入した。
最新ハードに中々手が出なかったのもあるが、PCの容量が意外にあまっていたのに気付き一念発起。
まーたくさんソフトがあるわけで、言わずと知れた名作から隠れた秀作、「これで金取るのか!」ってクソゲーまで様々。
ただ今回は最初っから目星をつけていたゲームがあり、そいつをsteamでの第一歩としてプレイしてみた。
Her story
一風変わった推理ミステリーゲーム「Her story」
プレイを開始すると映し出されるのは2世代ほど古いパソコンの画面。
説明もなく、画面の中にあるのは検索ウィンドウ、そこに打ち込まれた「殺人」のワード。
そしてそのワードに合致した3つの30秒ほどのビデオ。1人の女性が取り調べを受けた様子が記録されていた。
そう、これはひたすら検索をし、ビデオを見るだけのゲームだ。
検索ワードを変えることで見れるビデオが変わる。
そして取り調べを受けている女性の発言を少しづつ読み解くことで事件の全貌に迫るのが目的だ。
最初に言ってしまうと、エンディングらしいエンディングも無く、全貌が分かったからといって何かが起こるわけでもない。
ただプレイヤーが真実を知る、という目的のためだけのゲームだ。
ここまでシンプルに絞っているからこそ、余白が多くこちらの想像を掻き立てる。
一発ネタではあるのだけれど、やはり他にはない魅力があるゲームだった。
謎が分かったときはやっぱり膝を打ったし。
ちなみに、このゲームはファミ通で連載されている山本さほさんの『無慈悲な8ビット』で知った。
色々ゲーム紹介してくれるし、面白い漫画なのでおすすめです。
Banished
ニコニコの字幕実況で気になっていた作品。
簡単に言うと、シムシティの中世村版という感じ。
家を建て、畑を作り、交易を行って街を発展させていく。
昔からあるスタイルだが、舞台が中世ということもあり結構難易度は高い。
薪が無くなれば凍え死ぬし、食料が無くなれば餓死するし、家が無ければ子供が産まれず高齢化して全滅する。
様々な資材のバランスと住民の数、村の発展目標などを考えながら計画的に進めていかなければならない。
俺も一度飢饉を起こして全滅したが、このメカニズムには驚いた。
鉄の道具を交易品に→交易に使用した結果村の道具が枯渇→作業効率が低下→食料の生産量が低下→食料不足→健康状態悪化→さらに作業効率が下がる→飢饉
ちょっとしたミスが大惨事になる。
難易度や気候の厳しさをスタート時に設定できるのである程度は楽にできるが、一番簡単にしても全滅は容易に起こる。
碁盤の目状に村の街並みをきれいにするのもアリ、自分なりにテーマをもってエリアを作っていくのもアリ。
システムを味方につけてからが楽しくなるゲームだと思う。
そうなったら、多分一生遊べる。MODなんかもあるし。
こちらのゲームを紹介していた字幕実況動画はこちら。
いいぞSteam
今んとこ日本語ありのゲームしかチェックしていないが、いずれは英語のゲームも出来るようになりたい。
PCのスペックを上げればGTAみたいな大作も出来るだろう。
何と言っても、上に紹介した二作のようなインディーズ作品とGTAみたいな超大作が同じ棚にならぶのが魅力だ。
ただ、気軽にポチってしまうので俺の金が尽きちゃう危険が…。セールをチェックして賢くプレイしよう。
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英語のゲームの思い出
俺がかなりハマったゲームに『Skate2』がある。オープンワールドの世界をスケボーでひたすら走り回る。これがめちゃめちゃ楽しい。
ただこのゲーム、日本版が出たのは良いのだがローカライズが中途半端で、キャラのセリフに字幕が無かったりトリックの説明が英語のままだったりと少し不便だった。
で、こいつの続編『Skate3』が出たので買ってみたところ、まあゲーム自体は面白かったんだがローカライズはほぼゼロ。
ゲーム内に日本語は一言も無しという潔さだった。パッケージは日本語なのにな。
そこで、google翻訳を片手に必死でプレイしていた。そんな思い出。
EA BEST HITS スケート 3 英語版 (日本語マニュアル同梱)
- 出版社/メーカー: エレクトロニック・アーツ
- 発売日: 2012/01/26
- メディア: Video Game
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「意味」と「結果」
最近、モノの「意味」の在り方について考えさせられる言葉をいくつか聞いた。
君はすべてに目的を設定する生活に疲れてしまったのではないか。すべてに結果を求める自分になってしまったのではないか。目的地を持たない旅もあるのである。放浪である。流転である。荒海の中に見つかる自分もあるのだ。孤独の中に感じるぬくもりもあるのだ。
— JXS(杉作J太郎または杉作J太狼XS) (@OTOKONOHAKABA) 2017年9月11日
一つは杉作J太郎先生のお言葉。
これはずーんと来た。それこそ、少し前の俺は音楽やら何やらに結果や目的を、それこそ生み出す側に求めていたように思う。
要は「ロックなんだから○○しろよ」みたいな。
自分に結果を求めずに人に求めてる辺りが中々ズルい。
あくまでそれは俺の中だけで生み出すものだ。
もう一方はこちら、
伝説の格ゲーマーにして、プロゲーマーのウメハラ(敬称略)の講演。
こちらの質疑応答(1:36:20ぐらいから)の中で、「素人と玄人が同時に楽しめるゲームとはどんなゲームか?」という質問があった。それに対する回答。
大人になったり、マニアになると楽しめるものが減っていく。それは、「意味を考える」ようになるから。
意味を考えるとつまらなくなる。
もっと根本的な、早い!気持ちいい!などの「感覚」は初心者も玄人も同じ。
だから、そこを目指すべきだと思う
という言葉があった。
この講演は全編面白かったけれど、特にこの部分が響いた。
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前に引用したJ太郎先生の言葉と合わせて俺なりに考えると、「意味」=「結果」だと思う。
物事が何か動き、その結果があり、意味を産む。
それは社会的な、あるいは個人的なものかは様々だろう。しかし大事なのは、スタートは「動き」そのものであるということ。
その「動き」を見る、聞く、感じることが「体験」だろう。
いつしか俺はそれを繰り返すうちに、先回りして「結果」=「意味」でしか物事を見なくなっていたんだろう。
例えるなら、評論だけで語って、実際には聞いてないみたいな。さすがにそこまでにはなって無かったが、似たようなもんだろう。
もっと原点の「動き」を見ていなかった。そしてその結果、「意味」すらも読み誤って、「動き」をも読み誤る。
実際聞いてみれば、そりゃ良いものは良いのよ。
だから「意味」とか「結果」が生まれてるんだ。
その「動き」そのものに対する自分の視界を曇らせてはいけないなと思う。
ちょっと前から聞くジャンルの幅やらなんやらを広げて、前まで全然興味が無かった分野にも触れるようになった。
すると、やっぱ良いものは良いんだよな。
原点としての「動き」ですでに素晴らしい。
そうやって自分の視界で「動き」を見て、「意味」を見ていくと、今までと全然違ったものが築き上げられていく。
すげー単純に言うと、楽しいんだよな。
そりゃもちろん、好き嫌いはある。ただ、良いものは良い。
カッコいいし、音も気持ちいい、でも好みじゃねえな!
そういう風になってきた。
そっから先はもう、俺の問題というか、言ってしまえば性癖の話(エロのことではなく)
こればっかりはもうどうしようもないだろう。
で、そんな性癖を他人と比べてどうこうしてもしゃあないのだ。
互いに今ここで体験している「動き」そのものを語り、共有しあうこと。
その先にたどり着く「意味」や「結果」が異なったとしても、まあいいじゃん、ってな気軽な感じになれた。
まあ、昔の肩肘張ってた自分も今見れば恥ずかしいは恥ずかしいんだが、自分なりに理想を追い求めて必死こいてたところは別に否定はしない。
やり方が間違ってたな。
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The Avalanches / Subways
ジャンルもよくわからんし、PVもよくわからん。
ただただ聞いていて気持ちいい。
というかアルバム通して全編凄く聞いていて楽しい。
おすすめです。
Oathbreaker / 10:56~Second son of R.
こちらはより直接的にこっちに圧を掛けてくるタイプのサウンド。
俺はこういうのにガンガン乗っかってしまうタイプ。
前半の不穏で暗いパートからブチ切れハードコアサウンドへ一気になだれ込む。
決して明るい曲じゃない。聞いてて「楽しいか?」って言われるとわからんな。
ただ、凄く好きだ。全員これをやれとは言わんけど、こういう人らがいてくれないと俺は辛い。
楽しい音楽は楽しく聞くし、激しい音楽は激しく聞く。
どっちも俺には必要なんだよなぁ。欲張りかもしれんけど。
生意気な男
「生意気」というものに対して実は長いこと憧れがある。
というのも、俺はとことんそういうものを避けて生きてきたという自負があるからだ。
まあ生意気ってのは決して褒められるニュアンスの言葉ではない。
要は身分不相応な振る舞いに対して与えられる言葉だ。
ただ、よく考えてみればこれはあくまで上から与えられる言葉だ。
年齢的になのか、社会的地位的になのか、それは状況によって変わるが、
「上」のやつから見て「下」だと思われるやつの行為がその身の丈に合っていないという評価。
なんだけれども、俺は、あるいは俺と同じようなやつはそれを自分から判断していく。
「こんなことは俺の身の丈に合っていない、生意気な行為なのではないか」と。
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なんでこんなこと思ったかというと、例のジャズ少年。
名前を出すとなんかアレなので控える。
俺が観測できる範囲では、ライブで好き勝手やってしまった少年がビンタされたって事だったわけだが。
で、「ジャズとは本来…」みたいなのはそもそも結論出ない話だと思うので一旦置いておく。
結局、音楽的に本人が着地させられなかったわけなので、あれは失敗で、怒られるのはまあ分かる。
で、体罰はどうなんだっていうのはまた難しい話なので俺はこの話題からも逃げる。
俺が気になったのは、そういう「生意気な奴」の存在。
結果、あいつは失敗したしビンタされたわけだけれども、ああやって自分を表現しようと仕掛けられる、そういう精神は凄いと思う。
ナルシシズムだとか中二病だとか、若さゆえの無知と言って片づけることも出来るんだけれども、それじゃああまりにも冷たいように思える。
あいつはあいつなりにやりたいことがあって、敢えてリスクがあるあの場面でそれを仕掛けたわけだ。
俺は当事者じゃないから、直接「嫌な思いをした!」なんて声高には言わんが、実際時間取られてライブ滅茶苦茶にされた他のプレイヤーとか、金払って見に来た客はまあ嫌な思いしただろうし。
一応音楽という枠の中の出来事とはいえ、勝手無法をやることでいろんなものが壊れたし、その責任をあいつは音楽の中で片づけられなかった。
(ていうかそもそも、アドリブ仕掛けるなら相手が違ったんじゃねえかという気もするが。)
ただ、それでもやりたいことがあったんだろう。
やって、失敗して、怒られた。ここに口挟むことはしない。
ただ、「やった」ということに関して俺はある種尊敬する部分がある。
俺には出来なかったから。
「生意気」になれなかった少年時代があったから。
だから、ロックとかそういう音楽に傾倒していったのかもしれない。
俺が出来ない「生意気」をやってくれるから。
全員が身分相応な振る舞いをして回っていく、それはまあつまらんだろう。
そこをブレイクスルーするのは結局生意気な奴だ。
必要なんだとは思う。
もちろん、それを「てめえ生意気だな」と叩き潰すオッサンも必要。
要は生意気やっても、結果が出たら誰も何も文句言わんと思うのよ。
そこで体罰がどうとか、そういうのは俺にとっては、また別の話。
俺は体罰嫌いだけどね。
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もうこの歳になると「生意気」ってことすら中々やれなくなってくる。
自分の社会的地位ってのが嫌と言うほど身に染みる。
それを突破して上に噛みつくってことのリスクもデカくなる。
だから、俺には出来ない、と決めつけたくなる部分もあり、そうしたくない部分もあり。
なんやかんや言うたけども、俺はあの少年の生意気で身勝手な姿にふと思うところがあったという話でした。
まあ迷惑かけたならそのツケを払えばいいわけで、それでチャンチャンになればいいよな。
若い奴が調子こいて失敗して、そこから立ち上がるってのもよくある話。
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「ジャズとは逸脱するものだ!」、「逸脱は別に何やってもいいわけじゃない」、結局ジャズ論が盛り上がって殴り合いになってんな…。
例えるなら「ロック」という言葉一つでパンクとプログレとビートルズをごちゃ混ぜにして語ってるような印象。
「ジャズ」って主語がデカすぎるし深すぎるんだろうな。
このタイミングで「俺の思うジャズ」を押し付けたりすんのもやっぱ違うと思うし。
あのジャズ少年を過剰に持て囃すのもなんか変な気もする。
「次頑張れよ」でいいと思うわ。
(記事に追記しといて、後から考えたら「何か違うな」と思って書き直した次第です)
逆転の発想
最近、外国から見た日本みたいな番組は結構ある。
多いってことはそれなりに見てる人も多いんだろう。
実際、俺もちょこちょこ見てたし。
ただ最近、少し苦手意識があって意図的に避けるようにしている。
なんでその苦手意識が生まれたか。
単純に、立場を逆転させてみた。
例えば俺がイギリスに旅行に行って空港に降りた時、
「お前何しにイギリス来たの?」
ってテレビスタッフが寄ってきたらどうだろう。
まあ答えるとは思うけど、それに対して
「ついてっていい?」
はキツイ。
俺がアビィロードでビートルズの真似とかしたり、パブ入って喜んでる姿を見て「へー、外人はこういうとこ行くんだ」みたいにコンテンツにされんのキッツいなーみたいな。
まあ考えすぎだよ、ってなとこもあるんだろうけど。外国人のリアクションって大きいから見てて新鮮だったり、日本のもので喜んでる姿は確かに嬉しくはなる。
ただ、それ毎週見るもんじゃねえなっていうか。
褒めることぐらい自分で出来るようになりてえなっていう。
「改めて気づかされた」っていつまで気づかされ続けてんだよっていうね。
あえて見たいのがあるとすれば「ココが変だよ日本人」とかかな。出演者しだいだけど。
タイのポップ/ロックがヤバいという話
数年タイで暮らしていた友人の影響でタイの音楽ってやつを少し掘ってみた。
おいおい何だこりゃ。滅茶苦茶カッコいいじゃないですか。
俺がそれまでイメージしていたタイの音楽ってのはこういうの、
失礼な言い方をすれば、ちょっと垢ぬけないイメージ。
Berryz工房がカバーしてたからどうにか知ってたってぐらい。
これはこれで楽しくて良い曲なんだけど、他にもこれだけ超良質なポップやロックがこんなにあったとは。(別にバードの曲が質が悪いってことじゃないよ。)
Spotifyやyoutubeのサジェスト欄に出てくるのを数珠つなぎで聞いていくと、滅茶苦茶数が多いし、再生数も多い。
マジで知らない世界があったんだなあ…と痛感させられる。
もちろん、俺がイメージするタイ、みたいな曲もあるにはあるんだけれど。
ただ、上に上げたような曲はその基準が世界にある、ということは分かる。
ドメスティックな音楽だけでは無いってこと。
だから日本の音楽は…みたいな話ではなくて、身近にこんだけすげー世界があったんだなってだけ。
どうしても音楽を語る時に日本とアメリカとイギリス、で終わらせてしまいがちだけれど、世界はもっと広い。
インターネットの発展でこういうのがシームレスに流通していく中で、世界では徐々に、と言うかもうすでにいろんなものが変わってきている。
何度も保険かけるみたいに言うけど、俺は日本の音楽好きだし応援している。
だけど、それ「だけ」を見て、他を遮断するのは難しい時代だなって感じはある。
雑に結論付けるなら、
「いい音楽やるやつは国とか関係なくみんな幸せになれ!」
ってことで。