ネガティブな方が人を動かす
働き出して数か月、目に見えて太ってきたのでダイエットをする。
が、もともと太ってはいた俺が何故ダイエットを決意したか。単純にムカついたからだ。
別に「デブだな」と笑われても気にしないタイプだったのだが、この間のは堪えた。
「お前大丈夫か?」「それはマズいぞ?」「体に気を付けろよ?」
心配されたのだ。自堕落な生活習慣のため、心配されることは多い。
が、これに正直ムカついてしまった。友人からすれば心から俺の見た目、体系の変化が不安だったのだろう。良い友人を持った。
だが、俺にはどうやらそうなったときに卑屈になる癖がある。
「自分が余裕あるからといって俺を哀れみやがって」
ぐらいの感情は一瞬芽生えた。なんと卑屈でみっともないのか。おまけにプライドの高さまでうかがえる。自分でも嫌になるが、せっかくだからそれを満たして消化しようと思う。
要するに見返してやろうということだ。
何をやるにもそういう感情で動いてきた感じがある。上に立たれた、と俺が勝手に思い込み、それを見返すために動く。実に不毛だ。だがその感情を抑えられない。
もちろん、幸せとか快楽のために動くことはある。が、衝動的な、劇的な行動はネガティブ感情から生まれることが個人的には多い。
でもまあ、それもプラスに動かせればそれでいいと思うようになってきた。
痩せてやろう。スタイルも良くなってお洒落になって、ぐうの音も出ないようにしてやろう。
俺は哀れみを誰かに向けることはしたくない。それが一番残酷で傷つくということを、俺自身がわかっているからだ。
許しを与えてくれるのは、キリスト教で言えば「神」だけなんだよ。人間に許してもらう必要はない。
ただ、そうまでされないと結局動かなかったのは事実なわけで。そういう意味では感謝している。
「心配してくれてありがとう」
捻じれまくったが、そういうことになる。
そういうわけでダイエットします。
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そもそも、この放置してたブログをまた書き出したのも、ベビメタに対するネガティブな感情故だった。そういうのじゃなければ動けないタイプなのかもしれない。
メタルとかハードコアが好きなのも、ある種ネガティブさをそこに感じていて、そこから生まれる音だったり歌詞だったりに対して共感であったり、リアリティを感じているからこそなのかもしれない。
ただ、ハッピーさに対する耐性というか免疫というかを付けないといけない。というか素直にハッピーさを享受する部分も育てなければならないな。そういうところをおざなりにしてきた。
バランスが悪い。