太閤立志伝5DX(2022)プレイ雑感
発売から4日ほど。
ざっと遊んで今札が55%ほど集まったところです。
前にも書いたが、PS2版で1200枚収集、全エンディング到達するほどやり込んだガチ勢の感想ということで。
良い点
スムーズになったゲームプレイ
PS2版は移動や主命選択の画面で若干カクつきがあったりしたが、これらが改善されてかなりスムーズになっている。
レスポンスもいいのでかなりテンポの良いプレイが今のところ出来ている。
新キャラ、新札
発売前から公開されていた黒人侍の弥助をはじめとする新キャラ達。
何人か遭遇したが、中でも伊東マンショや千々和ミゲルなどキリスト教関係者の存在が嬉しい。
上杉家の甘粕などなぜ今までいなかったのかみたいな武将も追加されたことで、よりバランスやボリュームも良くなっている印象がある。
特技札も追加されたことで戦闘などのバランスも変わり、過去作通りのプレイでは通用しない場面も。
特に本願寺、雑賀衆が所持している「百発百中」が強力。
鉄砲五連射を本丸からぶち込まれて総大将があっけなく敗走というケースが起こりやすい。
徳川家が所持している「三河武士」の札もかなり強力。
凄まじい勢いで相手の士気を下げるので、織田家プレイで増援に来るとかなり心強い。
個人戦では「克己」が強い印象。
茶道と武芸を鍛えることで簡単に取得できるのでそこらの武将も持ってることが多いが、取得難易度に対して全能力強化という破格の効果。
強敵相手には取りあえず使っておきたい。
また医療特技の「乾飯」は待望のリジェネ効果。
消費3で使えるので、「止血」のタイミングがつかめなかった相手にも有効でかなり使いやすい。
バランス崩壊するほどでは無いが、かといって使い道が無いみたいな札も無く今のところいいバランスになっていると思う。
気になる点
一部アニメーションのカクつき、描写問題
攻城戦や個人戦での特技使用時のアニメーション演出にカクつきというかラグが発生している。
ボタン長押しで高速化しても飛ばすことが出来ず、快適なプレイの妨げになっている。
また個人戦の攻撃範囲のグラフィックが薄くなっており、範囲が分かりにくくなっている。
特に刀の場合、元々範囲が狭いのもあり、草むらでの戦闘などでは全く判別が出来ない場合もある。
ボタンの位置
「はい」「いいえ」「決定」の位置がバラバラなので誤タッチが若干起きやすい印象。
武将プレイ時、「妻と話す」というボタンを連打して食事を取ろうとすると、その場所に「いいえ」が現れるため誤って飛ばしてしまうことが何度かあった。
PS2で出来ていたことが出来ない
PS2版ではL2を押して出来た文章送りが出来なくなっているのが気になる。
戦の際の全軍一括コマンドがワンボタンで出せていたのが、いくつか選択しないと出せないようになっているのも微妙に手間。
武将一覧で病気の武将が分からなくなっているのも謎。
一々選択して情報を開かないと判別が出来ない。
過去作では一覧の状態で名前が紫色になっていて一目で判別出来ていたはず。
感想
全体的に良いところは残したまま追加要素をプラスしたことでより遊びごたえが増した。
一部気になる点はあるものの、パッチ配布などが容易になった現在では先々のアップデートに期待したい。
既プレイ勢も文句なしで楽しめる作品になっていると思う。
steamで売り上げ一位も納得。
【ネタバレあり版】シン・ウルトラマン(2022)感想
公開からしばらく経ったのでネタバレしながら感想書いていこうと思います。
鑑賞直後のネタバレ無し感想でも書いたが、個人的にはかなり困惑、楽しめなかった作品でした。
楽しめなかった、というのも少し違うかもしれない。
確かにおおっ!っと思うポイントはあったし盛り上がる場面もあった。
でもそれ以上に残念だったりする部分が自分にはあった。
こういうネガティブ成分が多めな感想が歓迎されてないのはよく知ってますが、まあ個人の感想ということで。
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ウルトラマンと人間、社会
ウルトラマンを名作たらしめているのは、単にSF怪獣プロレスの要素だけではない。
そこに人間と社会への鋭い目線が常にあったからこそだと個人的には思う。
初代のジャミラやセブンのノンマルト、帰マンの『怪獣使いと少年』に代表されるような社会批評の側面がシリーズを通して存在していた。
それは昭和に限らず、現代のウルトラマンシリーズにおいてもそう。
そういった意味で、今回のシン・ウルトラマンはそこをごっそり切り取ってあるように感じられた。
言い方を変えれば、「社会」や「人間」というものが極めて希薄だった。
市井の人々の描写はシン・ゴジラとほぼ同じものが用いられていた。
避難する人々、怪獣を身近に感じながらも日常生活を送る人々、嬉々としてスマホで「事件」を撮影する人々、ウルトラマンの正体をゲスに暴露する週刊誌。
前作ではそこに、政府を批判するデモ隊とかもあったかな。
ほぼ同じ描写なのになぜ「社会」が薄く感じられたのか。
それはバックグラウンドとなる我々の社会との接続点の有無。
具体的に言えば、シン・ゴジラは東日本大震災と原発事故、という社会的大事件と密接に結びついていたということ。
だからこそ直接的な一般人の人的被害の描写等が薄くとも、我々はそこで描かれる街の破壊描写等から被害者の姿、自分自身の体験への想起が行える。
その効果もあって、終盤の逆転劇に対するカタルシスが産まれる物語上の効果もあった。
シン・ウルトラマンはそこがとても薄かった。
酷い目にあってるのは長澤まさみばかり。
予算の関係なのか、終始科特隊(今回はこの記述で統一しときます)の部屋と現場の行ったり来たりで、一般社会の描写が極めて弱い。
政治描写
そして一般社会のみならず、政治の描写にもそれは言える。
シン・ゴジラでも描かれた「会議ばかりしている」「利害関係によってがんじがらめになっている」政府描写は今作でも同様。
前作でも政府が無能だのなんだの言われてたが、今作はより輪をかけて無能な描かれ方をしている。
二度に渡って外星人とかりそめの不平等条約を結ぼうとし、それをウルトラマンに力づくで妨害された結果、科特隊に圧力をかけるというかなりダメな存在として描かれる。
分かりやすい比較対象として嶋田久作の役柄があげられる。
彼は前作でも政府の人間として描かれていた。
そして、アメリカが一方的にゴジラに対する核攻撃を行う決定をしたことに対して「これは酷すぎます!」と激しく感情を発露する。
今作では総理を演じているが、ひたすら翻弄され「アメリカがさぁ…」って不満を言ってるぐらい。
日本政府としての在り方や、政治家としての矜持も無く、ただただメフィラスの狡猾さを描くための一要素として消費された印象が強い。
前作で大杉連や平泉成の演じる首相が、自分なりの責務を果たそうとしている姿を描いていたからこそ余計にそう感じる。
科特隊描写
そして科特隊自身も。
オリジナルと人数は合わせられており、イデ隊員は滝、フジ隊員は浅見に対応していることがエピソード内の役割からも分かる。
だが、彼らの描写にも疑問符をつけたくなる。
まず長澤まさみ演じる浅見について。
公安調査庁のエリートとして科特隊に配属されたと思ったが、やたら喋りは軽く、なぜか尻をバンバン叩いて気合を入れる描写が何度も挿入される。
ウルトラマン=神永とバディということになるが、お互い単独行動をし続けており、絆を深め合った様子も無い。
パンフレットによると実は恋愛関係になる予定だったようなことが書かれているが、にしたっていつどこで仲良くなったのかはまるで分からない。
何より、今時違和感があるレベルの女性言葉を発し、メフィラスの件でアップされた大量の動画に対するリアクション、それが消えて喜ぶ姿は90年代アニメキャラをそのまま実写にしたような、キャラクターとして突然妙な浮き方をした感覚があった。
リクルートスーツのスカート姿のまま巨大化させられ、足元から舐めるようなアングルで撮影され、尻を画面どアップで何度も叩く姿は公開直後から多くの人に批判されている点でもある。
フジ隊員で性癖が狂っちゃったーみたいなオタク語りは昔からの定番ネタだが、その性的な部分を強調した結果、ストレートに言えば下品になった印象を受ける。
次に、イデ隊員に対応する滝について。
早口で専門用語をまくしてて、やたら余裕ぶっているというキャラ描写は前作の高橋一生とほぼ同じ。
終盤、自身の存在意義に悩み、「どうせウルトラマンが何とかしてくれる」と拗ねる展開はイデ隊員の描写をなぞったものというのは誰が見ても分かる。
だが、そもそも彼は一体何をしたのか?
ウルトラマンにおける科特隊やそれに相当する部隊というと、ウルトラマンが出てくるまでのやられ役という印象があるかもしれない。
しかし実際は、ウルトラマン無しでも何度も怪獣を退治しており、あるいは彼らの行動無しではウルトラマンがやられていたというケースも少なくない。
その中でイデ隊員というのは、様々な新兵器を開発したり、宇宙語で宇宙人と対話を試みたりと積極的に物語に関わってくる存在だ。
そして何より、「故郷は地球」に代表されるような、人間社会に対して時にシビアな目線を自ら向けることのできるシニカルな側面もある。
彼が存在意義に悩み、そこから立ち直る姿というのはそのまま人間社会とウルトラマンの関係性を現している描写の一つとも言える。
残念ながら滝の描写はその域には至っていないように思える。
これ見よがしなSF作品の模型群がやたら画面に映るが、ほんとにSF好きなキャラなのか?と思いたくなった。
早見あかり演じる船縁は何のためにいたのかよく分からない。
やたら多用される顔アップ描写のための要員だったのかと疑いたくなる。
隊長である田村に至っては単なる説明装置でしかない。
電話に出る度「何?○○が××だって?」と一々説明するのはテレ朝の刑事ドラマでも見てる感覚になった。
そして、オリジナルの科特隊から抜け落ちていた存在として「少年」を忘れてはいけない。
なぜか科特隊の基地を自由に出入りし、科特隊の手助けをするうちに制服まで与えられた謎の少年ホシノくん。
当時ウルトラマンを見ていた少年たちが自身を投影出来る存在として欠かせない要素だっただろう。
演者の都合で降板することになったが、物語上無かったことには出来ない存在だろう。
また、メフィラスに地球人代表に仕立て上げられたフジ隊員の弟サトルくん。
メフィラスの脅迫にも屈せず断固として立ち向かうキーパーソンだ。
こういった少年の姿というのは昭和特撮にはつきものなのだが、シン・ゴジラでもシン・ウルトラマンでも子供の描写は極めて少ない。
仮面ライダーにおける少年ライダー隊も、シンでは恐らく存在しないだろう。
何を好きになるのか、ウルトラマン
これら人間の描写が極めて希薄だったが故、ポスター等でも度々用いられる「そんなに人間が好きになったのかウルトラマン」というセリフが出てきた時は「どこを好きになるねん」とツッコみたくなる。
まず俺らが好きになってないよと。
そして、「彼らはまだ幼いから成長を見届けたい」という意図の発言があるのだが、その幼さと希望の象徴たる子供が背景にちらちら写るぐらいで、キャラクターとしては一切出てこない中で、誰に希望を見出すというのか。
言われるがままウルトラマンが提供した技術をやたら長い数式で計算して「ベータカプセル二度押し(!)」というゼットン攻略法を見出した地球人。
結局ウルトラマンありきの解決法で、これからも彼らはウルトラマンありきじゃないとやってけないようにしか見えない。
肝心の協力シーンもPSVRだけって、予算無いにしてももうちょっとあるだろ。
自力でペンシル爆弾を用いてゼットンを撃退した初代、「ダンはダンに代わりない!」と告げるセブン、子供達にウルトラ5つの誓いを授ける帰マン、少年たちに「優しさを失わないでくれ」と告げるエース、人間たちだけでもやってけるぞ!と声高に叫ぶタロウ、少年たちの勇気がブラック指令を倒すレオ、子供達の光が奇跡を起こすティガ、意思を受け継ぎ絆(ネクサス)を紡いでいくネクサス。
ウルトラマンが人間たちにどう影響を与え、彼らはどう変わっていくのか。
それこそがウルトラマンだと俺は思っている。
そういった意味で、シン・ウルトラマンにその要素は個人的に見受けられなかった。
描かれるのは、ウルトラマンがどう変わっていったのか、ということ。
無感情で合理的に動くウルトラマンがいかにして人間の自己犠牲の精神を受け入れていくのか、という。
常にウルトラマンが主役であり続ける話だった。
だからこそ「ウルトラマンが見たい!」という人が絶賛するのも分かる。
花の名前から引用されたであろう「リピア」という名前を持ち、固有個体としての存在になったウルトラマン。
「ウルトラマン」というキャラクターを描く映画としては高い評価になるのは確かにそうなのかもしれない。
ただ「ウルトラマン」という物語のリブートとして見た場合、それは違うのではと思わざるを得なかった。
フェティシズムとしての細かい特撮描写の数々や諸所の引用から「ウルトラマンが好き」というのは画面の端々から嫌というほど感じ取れるからこそ、ウルトラマン以外の要素に対する邪険な扱いが非常に気になった。
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旧劇の際、ネットの書き込みに傷ついたという話は有名だし、シン・エヴァ前後でもかつて所属していたガイナックスとの仲違い、NHKプロフェッショナルに対する「あの番組のせいで遅延が自分のせいだと思われている」という告白、岡田某をはじめとする批評に対する警告等、庵野監督自身かなり「社会」というものに対する嫌悪感が高まっていることもあるのかなあ、と思ったりもした。
まあ何度も書きますが「個人の感想」ですので。
【ネタバレ無し版】シン・ウルトラマン(2022)感想
今回は幸運なことに公開してすぐ見に行くことが出来ました。
シン・ゴジラはその年どころか邦画史に残る大ヒットとなり、シン・エヴァも経た庵野秀明が描くウルトラマン。
学生時代に自分自身がウルトラマンを演じたこともある、というエピソードでも知られており、エヴァンゲリオン他でも数々ウルトラマンへのオマージュが描かれていることからも分かる通り、庵野監督自身が特に思い入れが強いこの作品をどうリメイクするのか。
自身もリアルタイムじゃないながらも昭和のウルトラマンをビデオで楽しみ、新世代ウルトラマンも割と長いこと追いかけてきたということもありつつ。
そういった期待を持って上で視聴した感想です。
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これが描きたかったのか!?庵野!
まず前提として、今回庵野秀明は「総監修・脚本etc」であり監督は樋口真嗣であるということ。
なのでシン・ウルトラマンの諸描写については誰の意図によるものなのかはまだ判別が難しい。
資料本やインタビューでは語られるのだろうか。
こういったことを前提として挙げる必要があるほど、個人的には困惑させられた作品だった。
特撮に対する病的なまでの愛とフェティシズム。
それは大いに感じ取ることが出来た。
忠実に着ぐるみ特撮をなぞりつつ、CGならではの派手さや新しさを加える挑戦も見受けられた。
しかし、それによって描かれた諸所は果たして本当に制作陣が目指し、辿り着いたものだったのか。
ただ過去をなぞってオタク同士で「分かってるねえ」と称賛しあい、自身の様々な癖を開陳する。
身も蓋も無い言い方をすれば「金をかけた同人の域を出ていない」と個人的には感じられた。
「それが庵野だろ!オタクだろ!頭空っぽにして楽しめよ!」と言われるなら、俺はもういいですと返すしかないし、俺はオタクじゃなくていい。
この先シン・仮面ライダーが控えているわけだが、同様のスタイルだとするとちょっと身構えてしまう。
良いとこが無いわけじゃ無いが、悪いとこの嫌さが個人的には勝ってしまった、というのが全体としての感想です。
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ネタバレ版はもうちょっと経ったらまとめて書いておこう。
祝!太閤立志伝5 DX発売決定
いやあ、驚きました。
まさかこの令和に太閤立志伝5が追加要素を加えてリマスターされるなんて。
このブログの記事の中でも特にアクセスが多いのが太閤立志伝の記事。
書いたのもう6年前だけど、いまだに結構アクセスがある。
わざわざ記事にするぐらいなので、俺の人生で遊んできたゲームの中でも特に好きな一本。
それがここにきて新展開ということで非常にテンションが上がっております。
新武将やイベントも追加ってことで、今までカッスカスになるまで散々遊んできた俺みたいな人間でもまだまだ楽しめるってこと。
これは本当にうれしい。
まあ細々やってるブログですが、発売に向けて少しTips的なものをまとめた記事をいくつかアップしていこうと思います。
既に攻略サイトとかは割と充実したものがあるわけですが、さらに細かいプレイ感とかを踏まえたものを出していければなと。
ゲームの発表でここまでテンション上がったの久しぶりだなあ。
在宅勤務はまだまだ続きそうですが、楽しみが増えて何よりです。
【PS4】アサシンクリード シンジケート クリア感想
年は開けても相変わらずの生活のようで、ダラダラ仕事をしつつゲームしてる日々。
貯まったプレイ感想を書き連ねるぐらいしかやることなし。
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リリースは2015年ということで、これも「今さらかい」という感じのプレイ感想。
シリーズとしては1から3までプレイ済み。
特に2からRVまでのエツィオ編にはどっぷりハマっていたものの、3の操作感に慣れず、ハードの世代が変わってからはこれが初めて。
ユニティがバグまみれで評価すげえ低かったとか、オリジンズ以降はゲーム性変わってほぼ別ゲーみたいなのは知っていた。
そんなわけで以下プレイ観。
概観
この作品以降アサシンクリードはハック&スラッシュを中心としたアクションゲームにそのスタンスを変えていったということで、「古い街並みをパルクールアクションで駆け回り暗殺」という昔ながらのアサシンクリードが楽しめるのはこれが最後らしい。
産業革命時代のイギリスを舞台とし、相変わらずのテンプル騎士団との争いを描いた本作。
やってみて感じたのは「良くも悪くも昔ながらのアサシンクリード」であること。
古い町並みを縦横無尽に駆け回る楽しさ、グラフィックの美しさ、観光ゲームとしての魅力は相変わらずの高水準。
その一方で膨大な収集要素、作業的なサブクエストの数々などストレスの貯まる要素も相変わらず。
ストーリー
テンプル騎士団が支配するロンドンを解放する、というのが一応メインの流れなのだが、全体的に説明不足というか流れが性急。
なんで主人公兄妹がそれを行うのか、というスタートから仲間が増えていく過程まで「何で?」というのが頻繁に発生する。
特にギャング団を俺らも作ろうぜ!のくだりは、どこでどうなって決まったのかよく分からない。
全体としては相変わらずのアサシンクリードという感じだが、主人公の行動原理の描写や仲間との交流含めやり取りが淡泊であんまり乗っていけなかった。
これは暗殺ターゲットの描写も同様。
比較になってしまうが、家族を殺され全てを失って再び立ち上がるエツィオや自らの出自に立ち向かうコナーなどと比べると、二人の行動がかなり軽いというか思い付きで動きすぎではという気がしてしまう。
現代編のストーリーに関しては過去シリーズ知らんかったら何も分からんのでは?という感じ。
デズモンドがいない分、あんまり興味も持てなかったし。
ゲームシステム
ここはほんとに相変わらず。
建物に登る。
隠れる。
煙幕やナイフを駆使して暗殺する。
カウンターで戦う。
ロープランチャーの有無はあるものの、初期とそんなに変わらない。
最初から最後までナイフが強すぎじゃねえかとか、ダーツってもっと使い道無かったっけ?とかはあるがまあ「アサシンクリード」って感じ。
サブクエや収集要素はかなりあるものの、これが非常に手間。
代り映えのしないクエストを何度も何度もこなす必要がある。
宝箱や各種収集アイテムもこんなに用意する必要あったんか?ってぐらいある。
それらを全部集めてどうなるか、っていうと多少強い装備がゲットできる程度なのだが、取ったとして劇的に強くなるわけでもなく、ほんとにコレクション要素でしかない印象。
クエストの中では馬車レースの難易度が別格で高い。
馬車のスキルを全部抑えても勝てるかどうかに運がかなり絡んでくる。
ぶっちゃけかなりストレス。回数も多いし。
レベルデザインにも疑問符が付く。
本作ではクエストのクリアやアイテムの収集によって経験値が得られ、一定値に達するとスキルポイントが獲得できる。
それらを振り分けることでスキルを獲得、一定数獲得するとレベルアップという流れ。
しかし、そもそもスキルの数がそれほど多くないので、適当にサブクエをこなしていると中盤辺りで全スキル取り切れてしまう。
装備の中にはストーリーで解放のものと収集やレベルで解放のものがあるが、上記の理由からストーリー解放の装備を通り越して最上位装備に中盤でたどり着いてしまうなんてこともザラ。
一応兄妹で取得できるスキルや装備に若干の違いがあるものの、経験値や武器は共有なので素材や金さえあればすぐに両者とも成長しきってしまう。
後は淡々とこなしていくだけ、というプレイ感に個人的にはなってしまった。
隠密スキルが強力なエヴィーを使いがちになるし。
感想
最初に書いた通り「良くも悪くもアサシンクリード」な作品。
これ以降ゲーム性が大きく変わっていったのも頷けるというか、ここがさすがに潮時だったんだろうなと。
つまらんというつもりは無いが、シリーズを通して遊んでいるが故に「その楽しさはもう知ってる」というタイミングが多くなってしまったように感じる。
悪かないけど手放しでも褒められない、というのが最終的な感想。
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個人的にアサシンクリードは3までかな。